孤児院運営のはじまり
2016年8月
ネパールに訪れ孤児院の子どもたちと出会った。僕の初めての海内旅での衝撃。
孤児院を運営するシバァは実の息子と娘と40人の子どもたちを自分たちの力で育て、子どもたちにご飯を食べさせ、学校に通わせていました。 元々は日本人の方がサポートをしていて生活を送る家もその方達が建てたものだった。
貧困によりストリートで生活していた子。震災や紛争により親を失った子。DVや生活困窮、アルコール・ドラッグの依存により親と離れた子。施設に来る理由は様々です。
全員分の食事を用意するのは一苦労。近所をまわり物乞いをする日々。同年代の子と比べても身体の小さい子が多いように見えた。
生活を見ると苦しく思うかもしれない。しかし笑顔は絶えないし、未来を見て強く生きていた子どもたち。生きる希望をもらった。
それから僕は大学が休みになる半年に一度のペースでネパールへ訪れ、孤児院の子どもたちに運動会を開催したり、文房具やサッカーボールなどの寄付を続けてきました。
2018年8月
「生活ができない。」シバァからの連絡。突然、家を追い出された。サポートをしてくれる団体も状況が悪くなればサポートを辞めてしまう。安定しない生活。シバァの身体にも限界がきて入院をするなど不運も相次いだ。それでもシバァに飽きられる選択肢はなかった。
連絡が来た時は複雑な気持ちもありながら頼ってもらえたことが嬉しいとも感じた。
「家族になろう。」
僕の孤児院運営物語が始まりました。
子どもたちのサポートをするなんて言ったのにビジネスなんてしたこともない。上手くいかないことばかりでした。とにかく声を上げ続けました。人の来ない講演会。一人で街に立って募金活動。企業を回ってプレゼンをしたり。否定されて、理解されず、それでもお腹を空かせて眠ることもできない子どもたちがいるのに平然と暮らしていることが嫌でやれることを探して行動を続ける日々です。
少しずつ少しずつ、共感してくれる方が出てきた。ネパールに一緒に行ってもいい?寄付できないかな?スタディツアーの実施や講演会の頻度も増えていきました。
孤児院の運営をするって決めてしんどくなることもあります。しかし仲間がいれば全部吹き飛んで、もう一回やってやるぞと気合いが入ります。
「子育ては一人でやるんじゃない社会全体で子どもを支えていかないといけない。」
応援してくれる方が増えれば、今も苦しんでいる子どもたちに手を差し伸べられるようになります。
現在、子どもたちはカトマンズ・ブダニールカンタ村で生活を送っています。
竹中俊SNSや情報まとめサイト
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?