優しい人、許すということ



最近、職場に若くてフレッシュな男の子が入ってきた。

フリーアドレスがコロナ終焉と共になくなりつつある弊社では、最近グループの島のようなものができていて、その子が来てから島の匂いが変わった。
香水を目一杯振ってきているのだと思う。私はあんまり好きな匂いじゃないけど。(まあそんなことはどうでもよくて、このnoteに何の関係もない)

その子はよく喋る子で、既にグループの人たちとも打ち解けているようだった。
いつだったか、対面に座った日があって、私も先輩らしく色々教えてあげるふりをして仕事をサボっていた。(その日はアポイントも急ぎの用事もなかった)(と言い訳しておく)

「チャむさんってめちゃくちゃ優しいですよね。グループの中で一番だと思います」

「なんか裏がありそうで怖いっすね」

仕事を優しく教えてあげていただけなのに、裏がありそうとはなんと失礼なやつだと思ったが、まあ私は優しいので、許した。

しかしそこで、私は周りより優しいのか、と認識した。
確かに言われてみると、皆んなが音をあげている契約社員(ちょっと日本語の下手な・臨機応変というのが難しい女性)とも仲良く上手くやっている。
何度同じことを繰り返し言われても、何かあった時にパニックになって事実の羅列で報告をしてきても、怒ったりはしないし、時間があれば気持ちと言葉を整理してあげてさえいる。
傷つきやすい女性なので、時には心のケアも。(愚痴と被害妄想の処理が大半だが)

あ、そういえば昨日、その契約社員の女性にも言われたんだった。

「チャむちゃんは娘と同い年だけど、娘よりずっと性格が良くて優しいわ」

優しい人は、よく「他人に興味がないから優しくできる」なんて言われるが、私は他人には興味が大アリだ。
ツイッターをやって、他人の食べたご飯にいいねボタンを押している時点で、そういうことだ。

契約社員の女性の言うように、性格が良い(というか捻くれていない?)というのは勿論あると思うが(自画自賛)、私はきっと「許す」のが得意で、だから「優しい」と感じてもらう機会が何度となくあるのではないかなと思う。

「許す」って、難しいですよね。


「許す(免す/赦す)」を新明解国語辞典で引いてみると、以下の様に出てきた。

①必要な注意・警戒を怠る
②何かをするだけの余裕(自由)を認める
③罪・罰・義務などから放してやる。免除する
④希望を聞き入れて、してもいいとする
⑤やらせまいとしていたことを(思うままに)やらせる
⑥手放しで、そうであることを認める
⑦手放しで、そうすることを認める

新明解にしては、あまり情緒がない。私なら「信じた相手に裏切られた時に発生する選択肢の一つ」とでも書くだろうに。

まあそれはいいが、「信じる」ことについて、芦田愛菜さんが主演映画『星の子』の完成報告イベントで言った有名な言葉がある。

「その人のことを信じようと思います」っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、「それがどういう意味なんだろう」って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな」と感じて
だからこそ人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれは、「その人が裏切った」とかいうわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であって、その見えなかった部分が見えたときに「それもその人なんだ」と受け止められる、「揺るがない自分がいる」というのが「信じられることなのかな」って思ったんですけど
でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました

素晴らしい考え方だが、誰もが芦田愛菜さんの様に、相手を信じ・受け容れることができるなら、芦田愛菜さんは今あんな風にスターにはなっていないだろう。
相手の見えなかった部分なんか、知らんがな。(じゃあなんで引用してきたんや)(芦田愛菜さん大好き)

たぶん、凡人の私たちにもしできることがあるなら、それは、信じた相手に裏切られた時に、許すことではないかと思う。

さらにここで、許す時のコツを、優しい人になれるコツを、プロフィールに飛ばずともここに記す。

許せるか・許せないかを事象に依って区別しないこと。
これだけ。

「許す」ということは難しい。しかし、許すとなったら限度はない。
ここまでは許すが、ここから先は許せないということがあれば、それははじめから許していないのだ。

これは私の好きな作家、山本周五郎の『ちくしょう谷』という作品の一節だ。
究極論だ、説教くさい、と思いつつも、なんと人間味があるのか、と感動する。

よく「どこからが浮気か」「どこまで許せるか」なんてボーダーを愛する人に向けて作ろうとする場面を目にするが、あれはnonsense。
愛する人を許すのに、限度なんて要らない。

許すのは、時間がかかって構わないから。
勇気がいるし、傷つくかもしれないけれど。



全員に、皆んなに優しくある必要はないけれど、愛する人・大切な人に優しくありたい時に、参考になればいいかなと思います。

それと、優しくて皆んなを許しちゃうチャむちゃんを、どうぞこれからもよろしく♡(調子に乗らないでね♡)

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