昇格した。

昇格した。
昇格と言っても実質的には勤続年数に応じて自然と上がるものなので、私が何か偉大な業績を上げたとかではないのだけど、まあヘマはしなかったらしい。

昇格したと聞いた時、私が考えたことについて記録しておきたい。

まず、「なんで?」と思った。
「私みたいな劣った、少なくとも活躍していない人間がなぜ昇格するのか?」と。答えは上記の通り、主に勤続年数だ。そのことにはすぐに思い至った。

そして次に、「私って普通の人として扱われるんだ」と思った。
会社にオープンにはしていないが障害や病気のこともあるし、それら由来の”普通”からのズレによる「私は異常だ」という感覚から、自分が周りには”普通”の人に見えているということが分かっていなかったのだ。今も分かっていないと思う。
仕事のできない劣った存在として下のほうでウロチョロし続けるつもりで働いていたのが、”普通”の人と同じレールに乗せられていたのだ。そりゃあ驚く。「私ってその道に乗っていいんですか!?(乗りたいとは言っていない)」となった。
前にノートに書いたけど、私には”自分は普通の人に見える”という自覚が足りない。足りないというか、「そろそろその認識を持っていい」のではないか?双極症も寛解し、気が変になることがなくなった今、私は未治療、あるいは治療がうまくいっていなかった時期の自己像を変え、「”普通”の人に見えるんだ」「”普通”のグラデーションの中にいるんだ」と認識したほうが良い。現実に即しているから。

あとは自分の中に湧いてくる「自分を貶めようとする気持ち」を感じた。自分を下げないではいられないのだ。私が評価されることを認められない自分がいる。「私は劣っているはずだ」「私は十分じゃないはずだ」という気持ちが出て、「上の人たちは私に騙されている」「間違って通知したのかも」「上の人たちが私の評価を優しめにつけたから昇格の台に乗ってしまったのかも」「本当は私にそんな能力なんてないのに」等と思ってしまう。
でも勤続年数や昨年度の業務内容を考えると、昇格するのは不思議でないとも頭では分かる。頭で分かっても湧くものは湧く。今までの人生をかけてこの思考をして自分の尻を叩いていたのだから、たとえ今認知の歪みが取れていたとしても昔の余波で空振りぐらいするのだ。
そう、空振りだった。半分くらい。半分くらい本気で思って、半分くらいは「これ、余波だな」と思った。これってすごいことだと思う。自分の癖を癖だと認識できた。ダメージは受けているけども、半分で済んだ。回復の証だ。

そうやってしばらく(ええ、2時間ぐらい)「自分を貶めようとする気持ち」と闘っていたので、最後にはこう思った。
「全部忘れるか!そのほうが健康そうだし!」

でも今回私が思ったことはどこかに記録しておいたほうがいいと思ったのでここに記す。実際に記録しようと思ったのは「私って普通の人として扱われるんだ」と思ったとき。これは重要な気づきだと思ったので。

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