自己開示はどこまで必要なのか
「今日は友だちとスタバでしゃべってました。」「渋谷なう」とか
読んでる人にとって有益でない情報を出したいと僕は思いません。
しかしブログ記事を育てるために、ある程度の自己開示をしないとただの一般論,血の通わない情報になっておもしろみがありません。
僕は今どの範囲まで自己開示をしたらいいのかと考えています。
自分の思っていることを完全に外に出した時、気分を害することも多いだろうし、プロフィールを書くときも自分の生い立ちが誰かの役に立つ気がしないのです。
一方で有名な人、ファンが居る人、つまりアイドルやタレントが今日食べたお昼ごはんや着ている服は、ファンにとって有益な情報になります。
多くの人にそのような熱烈なファンがいませんし、アイドルでもない人がどうでもよい情報を発信したらただの「イタイひと」になるのではと思っていました。
文章を書いていて自分の価値観の中に「上手い人はやっていいけど、下手な人はダサくてイタイ」と思っている自分に気づきました。
そして、文章を書くことも同じで、今回のnoteのように自分の価値観、いわゆるオピニオン記事を書くことにも抵抗を感じることは「イタくて、ダサい人」になりたくないという見えない心理抵抗と「嫌われたくない」という気持ちが邪魔していると思います。
このような価値観について改めて考えてみると、日本人が教育される「出る杭は打たれる。目立ってはならない。大人であることが美徳」という考えが大きく自分の行動を制限しているのかもしれません。
そして,そのように自分を消して生きることは日本社会ではとても便利です。
しかし,文章を含めた絵や音楽などの創造作業は,そういった日本人の美徳に違反し,自分をさらけ出す行為なんだと思います。
独断と偏見のない公的な文章は,だれにも見られないつまらない文章になってしまいます。
noteを通して,自分をさらけ出すリスクをとっていきたいです。