「隠者」という生き方~他人の目や評価など気にしない勇気
数あるタロットカードの中でも、特に私が好きなカードというのがあります。
それがこちら。THE HERMIT(隠者)のカードです。
カバラ数秘術でいうところの私の誕生数は「9」。
タロットの大アルカナには0~21までの数字が割り振られているのですが、
実はこの隠者のカードに割り振られているのが「9」という数字です。
なので個人的に何となく親しみを覚えるんですね。
隠者は「物事の本質を見つめる」勇気を持っている
隠者のカードが示す象意は「真理を照らす光」。
ここには地味なグレーのマントを身にまとい、静かにランプの光を掲げている人物が描かれています。
俗世間から離れて一人思索の淵に佇む彼には、
もはや派手な衣装で着飾ったり、大口を叩いて虚勢を張る必要などありません。
他人の評価に惑わされることなく、物事の本質を見つめる勇気――
人々の輪の中に身を置かず、あえて遠巻きに眺めるからこそ見えてくるものがありそうです。
「おしゃれなカラス」や「はだかの王様」などの童話にも描かれているように、どんなに上辺を飾り立てたとしても、それは単なるハリボテの虚像にすぎません。
「人は見た目じゃなくて中身だよ」なんて言葉もよく耳にしますが、
実際に目の前にいる人の本質をちゃんと見ようとする人は案外少ないのではないかな、と思ったりもします。
羽振りが良かったり目立つポジションにいたりする人にばかりついつい目が行ってしまい、
あまり目立たない人のことは全く気にも留めず、むしろどこかで蔑んでしまう人も大勢いる気がします。
一歩離れて俯瞰することで見えてくるものがある
かくいう私も、見た目はまるで飾り気のない超地味~なタイプ。
人の輪の中にいたら完全に埋もれてしまい、時には馬鹿にされたり軽んじられたりすることもあります。
けれども必要以上に自分をよく見せようとは思いません。
むしろ、「あえてこんな姿でいる方が、実は目の前にいる人の本質を見極めやすくなる」とさえ感じています。
カードに描かれている隠者のように、
一歩離れた場所からものごとを俯瞰するときこそ、場のエネルギーに取り込まれることなく真実の姿が見えてくるような気がします。
なので、見た目で判断されたり評価されたりすることがあっても、
私自身はまったく気にならないんですね。
本当は見えていないのに はだかの王様の衣装を口々に褒め称える人々は、
その人自身の中に「虚像への憧れと、それを見破られることへの恐怖」があるのだろうな、と感じています。
でも、それもまたそれで良し。何事も正邪や善悪で測る必要などありませんからね。
評価されてもされなくても、魂が持つ輝きは決して消えない
取り繕ったものはいつかはメッキが剥がれてしまいます。
でも、その人自身が本来持っている魂の輝きは、決して消えたりはしません。
魂をもっともっと輝かせるには、
「自分」という存在の重さにしっかりと目を向けること。
生まれてこない方が良かった人なんて、この世には一人も存在しません!
みんなそれぞれに魂のミッションを抱いて、この地球にわざわざ生れ落ちてきたのですから。
生まれてくるときも、旅立つときも、人は皆一人きり……
もちろん天上界から見守ってくれている人々も大勢いますが、そんな魂の旅に「他人の目や評価」などまるで関わりがないことだけはハッキリと言えます。
私たちがあちらの世界に戻るときに、持って行けるものは心の輝きだけ。
それは富でも名声でもなく、
「どれだけ愛を持って生きたか」という、その一点のみなのですから。
(別ブログの過去記事よりこちらに転記しています)