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誰も見ていなくても知られなくても、ただ黙々とそれを実行する

タロットや占星術などの占術を扱う者として、
とりあえず現在もその末端に籍を置かせて頂いている私ではありますが……

実際のところ、「それらを使って情報発信する」といったスタンスは、とうの昔に捨ててしまいました。

もちろん今もこうしてnoteを更新してはいますが、それすらも「読みたい人だけ読んで頂ければ」くらいの感覚で、
特別こちらから情報を発信しよう!といった気持ちで書いている訳ではありません。

ただ単に、読む人が自身に当てはめて読んでくれたらいいな、程度に思っています。

エゴにまみれた「自称」スピリチュアルリーダーたち


見えない世界って、やっぱりちょっと特殊なエゴが育ってしまいやすい分野だと思うのですね。

たとえば予言めいた言葉を口にすることも可能だし、愛や宇宙などのつかみどころのないもの、壮大なイメージの言葉をそれっぽく語れば、
「高尚な存在に導かれている選ばれし者」のような印象を与えることも出来ます。



「〇〇からのメッセージを受信したので、皆さんにお伝えしなければと思いこれを書いています」
と、高次元のメッセンジャーよろしくふるまう人。

「いよいよ本日、ライオンズゲートが開きます。惑星からのエネルギーをダウンロードするために、私たちのポータルを宇宙に向かって開け放ちましょう」
などと、まるで自身が人々の目覚めを促しているかのような声を掲げる人。

その発信内容に感化され、読んだ人々の人生が劇的に向上するのであれば、
それはそれで素晴らしいことだと思います。

でも、何度ゲートが開いても、
愛に溢れた高次の存在・・・・・・・・・・からのメッセージを何度目にしても、
私たちの人生が「一足飛びに進化を遂げる」ようなことは、そうそうないのではないでしょうか。

(この手の記事には流行りすたりがあり、私はすっかり飽き飽きしてしまっています)

真のスピリチュアリティはどこか遠くではなく今、ここにある


スピリチュアルな生き方って、その人の魂全体の在り方のことを指しているのだと思うのです。

思考や生き方そのものが「宇宙を流れる波動」と共鳴し、調和的でないと、
真のスピリチュアルとは呼べないのではないか、という気がしてなりません。




そういう意味で、Youtubeやインスタグラム等で一方的に発信するだけのメッセージは、人々の関心を一瞬だけ引くことは出来ても
「人の口から口へと、長く伝え継がれるメッセージ」にはなりにくいのではないでしょうか。

発信する側のエゴ(高尚な人と思われたい、バズりたいなど)が透けて見える記事や動画は、
それ自体が「発信する人自身の課題」を表わしているだけなのです。

同じ課題を持つ人には支持されますが、動機が利他ではなく利己に向いているため、それで人類を救うなんてことが出来るはずもありません。

◆◇◆


水たまりで転び、どろんこになって泣いている子供に向かって
「あなたの魂の成長にとって、今 この瞬間に試練を経験することは必然の出来事だったのです」
――なんて本当に言いますか?言いませんよね?

でも、それに似た「自我意識でこしらえた滑稽こっけいなメッセージ」が、ネット上には多く流れているような気がしてならないのです。


それよりも、助け起こしてどろんこをきれいに洗い落してあげて、
「びっくりしたね。つらかったね」
と、ぎゅっと温かい胸に抱きしめてあげる方が、よっぽどその子の役に立つのではないでしょうか。




人の優しさ、温かさを肌身に感じて育った子供は必ず愛情深い大人に成長しますし、大人になってからその愛情を周囲の人々に分け与えようとするはずです。

同じように 苦しい時に誰かの思いやりに支えられた人は、本当の愛情を知ることにより開眼し、
その温かなエネルギーを周りに伝えていこうと努力するでしょう。


真のスピリチュアリティとは、つまりそんなものではないか、と私は本気で思っています。

あえてスピリチュアルリーダーを名乗る必要性はあるのだろうか


日常生活において、スーパーや電車の中などで大泣きしては お母さんを手こずらせている子供の姿を目にするたびに、私は心の中でそっと祈ります。

その子と、その子のお母さんと、それから私自身のスピリットガイドに向かって……

「あの子の心が一刻も早く穏やかになり、この外出の間じゅう、あの子とお母さんが楽しく幸せな時間を過ごせますように」


そして、その場に居合わせた人々の迷惑そうな視線を和らげるために、それらの人々のガイドにも協力を求めて祈ります。

これが割と効果的だったりするんですよね……(えっ、バカみたいですか私??)



それ自体はあまりにも地味な行為であり、センセーショナルなニュース性も何もないことですから、
わざわざ記事にしてインターネットで発信する必要なんてありません。

もちろん誰かに気付いてもらう必要性もなければ、人に話す必要性だって全然ありません。


誰も見ていないところでも、誰に知られることがなくても、自分に出来ることを黙々とすればいい。
ただ、それだけのことです。


スピリチュアルな生き方って、実はそんなことの繰り返し。
そうやって霊性を磨いていく日々を、一歩一歩着実に続けていくことが大切なんじゃないかって思うのですね。



ですから、最近では本当にキーボードに向かうことが億劫になってしまいました。伝えたいこと、発信したいこと、というのが今の私にはほとんどないのですから。

でも、こうして感じているつぶやきが、もしかしたら誰かの役に立つこともあるかもしれない……
そんな気持ちを振り絞って、やっとこさ記事を書いてみました(笑)

……って本当は、なかなか記事を更新出来ない言い訳なんですけどね~^^;



(※この記事は別ブログの記事からの転載です)


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