「銀行で吟行」やってみた
なぜアルミ缶の上にミカンを乗せるのか
突然だが、これは何だろうか。
そう、アルミ缶の上にあるミカンである。
読者の方々もアルミ缶の上にミカンを乗せた経験が一度や二度あるはずだ。
では、これは何だろうか。
これはスチール缶の上にあるミカンだ。
読者各位はスチール缶の上にミカンを乗せたことはあるか。おそらく無いだろう。
ただ缶の材質が違うだけなのに、なぜアルミ缶の上にはミカンを乗せ、スチール缶には乗せないのか。
答えは言わずもがな、ダジャレにある。
「アルミ缶」 の音と「あるミカン」 の音は同じだからダジャレが成立している。
対して「スチール缶」と「あるミカン」の音は一致しないので、ダジャレも成立・存在しない。
アルミ缶の上にミカンを乗せようと思えるのは、「アルミ缶の上にあるミカン」というダジャレ――つまりシチュエーションが先にあるからだ。卵が先か鶏が先かでなく、完全に卵(シチュエーション)が先である。
現実世界とは異なる条件でダジャレは成立する
ダジャレの成立条件は「音の一致」のみであり、それは現実世界で対象がどのようにあるかとはまったく関係ない。
考えてみてほしい、「コンドルがめり込んどる」こんなことがあるだろうか。
しかし音の一致があるために、多くの日本語話者は哀れなコンドルの姿を思い浮かべられる。
そしてシチュエーション――ダジャレがあるから、実行に移せる。
「アルミ缶の上にミカンを乗せる」という行動に移せる、「行動しよう」という思考が生まれるのも、ダジャレが存在するからだ。
ダジャレをきっかけに行動しよう
つまり何を言いたいのかというと……
「現実ベースでは考えつかないシチュエーションをダジャレは作り出す」
物理法則や常識などさまざまなしがらみをよそに、奇想天外なシチュエーションを生み出す力を秘めているのがダジャレだ。
そこで筆者こと渡辺八畳は考えた……
現実世界の住人である我々は、どうしてもこの世界の「常識」に基づいて物事を考え行動しがちだ。しかし、それでは真の自由は得られない。
ならば、世の理の外側にあるダジャレの力を借りようではないか。
では、どのダジャレを元に行動しようか……実は渡辺八畳には前々から実行してみたかったダジャレがある。
それは……
「銀行で吟行」は渡辺八畳が思いついたダジャレだ。もちろん「銀行」も「吟行」も音は同じ [ginko] である。
ちなみに吟行とは
つまり、有名な場所へ行って俳句や短歌を詠むことだ。
吟行の代表例が松尾芭蕉の『おくのほそ道』だろう。
江戸から出発した芭蕉たちは、東北や北陸、さらには近畿まで徒歩で巡り、各地で俳句を詠んだ。
ただし『おくのほそ道』は通常の吟行なので、巡ったのも各地の名所や旧跡(歴史的な出来事や建造物があった場所)である。
吟行は本来なら真面目に風情ある場所で行うものだ。しかしその吟行を、ダジャレのみちびきにより、風情とは縁遠い都心で、金融の館こと銀行で行ってみようと思う。
ダジャレで吟行するのは誰じゃ?
銀行の聖地、それは日本橋
――2023年7月29日、大安吉日。朝10時。
暦でも「大暑」となる夏日に「銀行で吟行」を決行した。
神田から日本橋にかけてのエリアは数多くの銀行が軒を連ねる、言わば銀行の聖地だ。「銀行で吟行」を行うにはこれ以上ない場所だろう。
今回この企画に集まったのは以下の5人だ。
まずは主催の渡辺八畳。この日のために松尾芭蕉風の衣装を準備した。
詩人としては長く活動しているが、俳句は遊びでしか詠んだことがない。
続いて画像左から順に米澤嶺とあいた。
米澤氏は画家・パフォーマンスアーティストで、八畳が主催するアートプロジェクト「スナワチオコス」のメンバーでもある。
なお、浴衣が左前だが、単純なミスなのでスルーしてほしい。
あいたは立体造形やイラストなどで活動している人物だ。八畳が芭蕉風の衣装を揃える際にも協力してくれた。
ここまでの3人は俳句に関しては素人だが、今回はゲストとして本職の俳人も呼んだ。
画像左側は高村七子。俳人・歌人として活動しており、俳句会「蒼海」「街」「楽園」にも所属している。
画像右側は暇野鈴。俳句や短歌に加え詩も書いているマルチな人物だ。
ちなみに本企画について説明したときに彼は「創作の源流には駄洒落があることを自認している身としてもぜひ参加したく思います」と返してくれた。
「銀行で吟行」を行うに際し以下のルールを設けた。
俳句・短歌・詩の違いは以下の通りだ。
ちなみに、俳句に似たもので川柳がある。
米澤「川柳はどういうものですか?」
八畳「季語があるのが俳句、無いのが川柳だな」
高村「あっ、違いますね。いろいろな定義がありますが、例えば同じ五七五でも詩情を求めるのが俳句、面白み中心なのが川柳です」
あぶない、プロがいて助かった……
「銀行で吟行」開始!
一行目:東日本銀行 神田支店
最初の銀行は、神田駅東口からすぐの東日本銀行 神田支店。
無機質なデザインのビル、前面は大きなガラス張り。ザ・銀行である。銀行の中央値なこの場所でまず企画を知ってほしい、という考えからチョイスした。
真夏のカンカン照り、暑くて蝉も鳴かず、しかも銀行で吟行という前例のない試みと対面して、5人は思った。
「銀行で俳句を詠むのは、いくらなんでも無理では……?」
慣れない「銀行で吟行」に頭を沸騰させ、結局1時間近く東日本銀行前で悩み続けた。
それでも、やれば形になるものである。
◆ 身を燃やす日射ほどけて赤白黒 (八畳)
◆ 銀行の赤き看板夏木立 (高村)
八畳と高村は看板や建物の色を元に詠んだ。
また米澤は
◆ ガラス張り外に映るは夏模様 (米澤)
と、銀行ならではの特徴を句に使った。
秀作を詠んだのは暇野。
暇野「東日本銀行前は狭い路地で、木立の影と木立自体の交換可能性のようなものを詠みこみました」
真夏にふさわしい清涼感あるこの句をもって、「銀行で吟行」は本格的に動き出した。
二行目:山梨中央銀行 東京支店
5人は国道17号線に戻り、次の銀行へと向かった。ちなみに17号線は元々は江戸時代の街道・中山道である。『おくのほそ道』ではギリギリ通っていない。
そして辿り着いたのが山梨中央銀行 東京支店だ。
実はこの銀行、1929年に建てられたもので、千代田区の「景観まちづくり重要物件」にも指定されている。
趣ある非常に良い建物だが、これ普通に名所ではないか?
銀行だからといってすべてがすべて風情と無縁というわけではないようだ。
そんな疑問は抱きつつも、やはり純粋に建造物として目を見張るので、八畳一行も思わず感嘆の声をあげてしまう。
題材が良いので、山梨中央銀行ではなかなか良い俳句を詠めた。
◆ 道行けば炎天そびえる石造 (米澤)
◆ 明治から建つ銀行や青浴衣 (高村)
◆ 氷より硬き金庫にペンキの字 (八畳)
高村「米澤さんの青浴衣と銀行を取り合わせてみました」
八畳「石造の堅牢さと、シャッターの手描きペンキ字の対比が良かった」
ちなみに「氷」は冬の季語らしく、厳密にいえば「季違い」になってしまう。
ここでの秀作はあいたの句だ。
あいた「黒い塗装が剥げて真鍮の金が見えているところに、夏の太陽が反射してキラキラしていたのを表現した」
剥げた塗装とギラつく太陽光という対比がありつつ、しかし真鍮の金と太陽の輝きという同一性もある。
俳句もダジャレも、一致しているところを探すのが第一歩なのかもしれない。
三行目:トマト銀行 東京支店
こども銀行の仲間に見えるが、「トマト銀行」はれっきとした銀行だ。
調べてみたところ、ケチャップやトマトジュースを販売するカゴメはトマト銀行に口座を持っているらしい。大企業が資本金を使ってギャグやってら。
さて、このトマト銀行。先の山梨中央銀行の真横にあるのだが、銀行のような建物は見当たらない。
というのも実は……
この右側のビルの、
7階にある。7階はなかなか行かない。
銀行=自社ビル というイメージが強いが、実は日本橋エリアだとテナントビルの一室で営業している銀行は少なくない。八畳も今回の企画ではじめて知った。
テナントビル内の銀行は基本的に本企画では除外していたが、「トマト」は夏の季語なので例外だ。
せっかくなので、この銀行だけ特別に銀行で吟行でなく「トマト」を題材に俳句を詠むことにした。
八畳はビル1階に郵便局があったことからこのように詠んだ。
◆ 待てども待てども文来ずトマト噛む (八畳)
この句は
まてども(4音) まてども(4音) ふみこず(4音) とまとかむ(5音)
と俳句の定型五七五には則っていない。しかし音を合計すれば17で、定型の場合と同じ数になる。
こういった定型の切れ目と一致しない俳句を句またがりと呼ぶ。「金太の大冒険」ぽい。
ほかにも、
◆ トマトの背 緑の銀杏をこえて生る (あいた)
◆ ざつくりと噛めばトマトの晴れわたる (暇野)
あいた「ビル7階にあるトマト銀行の看板を見ようとしたら、めちゃくちゃ高いところにあって、それがなんか面白くてできた」
そして高村が詠んだ俳句が
高村「トマトも生き物だし、齧れば赤い汁が出ることもありますよね」
急に怖いことを言う。
銀行で吟行、炎天でも続行
この日の最高気温は35.7度。雲一つない青空は、見た目の清々しさに似つかわしくない熱気を地上へ発してくる。
気を付けなくてはいけないのは熱中症だ。水分をこまめに摂る必要がある。
もちろん八畳も飲み物は持参しており……
選ばれたのは生茶でした。
とくとくとく……
ずず……
けっこうなお手前で。芭蕉というより千利休だなこれは。
みんなも水分はしっかり摂ろう!
四行目:十六銀行 東京支店
再び裏道へ。
続いての銀行は十六銀行。
二行目の山梨中央銀行が大正ロマンにあふれていたのに対し、こちらは昭和の雰囲気を強く纏っている。
「銀行で吟行」実施日は土曜日のため、どの銀行も窓口は営業していない。
十六銀行にいたっては車庫並みに大きなシャッターが建物の裏側で閉まっており、それが建物の無骨さをより際立たせていた。
単体で見れば何の変哲もない銀行だが、三行を巡った上で見ると、十六銀行もほかの銀行には無い独特な"味"を醸し出している。
例えば、
放置か投棄かわからないクッションが挟まっていた。
暇野「クッションだ」
米澤「クッションですね」
高村「逆に風情がありますね」
そんな十六銀行で生まれた俳句は以下の通りだ。
◆ シャッターや無人の中にある営み (米澤)
◆ 昭和感あるシャッターや炎天下 (高村)
◆ ビアガーデン行きし影見る昭和壁 (八畳)
八畳の句は、昭和っぽい外観→昭和のサラリーマンの幻影が見えてきそう→昭和のサラリーマンの行動って何だろう→夏とかビアガーデンに行ってただろうな という連想である。昭和のイメージがコボちゃんやサザエさんだ。ンモー。
八畳的にグッと来たのがあいたの句。
あいた「十六という数字から連想した言葉が六文銭でした。暑くてくたばっちまう! という一心」 ※三途の川の渡し賃が六文銭
確かにくたばっちまう。
五行目:みずほ銀行 コレド室町出張所
汗を流しつつの「銀行で吟行」もようやく折り返し地点だ。ここではじめてメガバンクが出てくる。
メガバンクとは言っても、この銀行はATMが置いてあるだけの「出張所」で、純粋な銀行とは異なる。
本来ならテナントビルの銀行と同じように出張所も除外するのだが、ここは日本橋のしかも三越前。江戸の情緒をこれでもかと演出している。純粋に良い場所だ。
しかもちょうどジャズのライブも行われており、土曜日の銀行とは思えないほどの賑わいを見せていた。
みずほ銀行 コレド室町出張所では以下のような句が生まれた。
◆ 街の中人が集いし銀行前 (米澤)
◆ 鳥小屋のごとく口はお札の大きさ (あいた)
◆ ビル街やジャズに重なる蝉の声 (高村)
そして暇野が読んだのが、
暇野「日本橋の晴天へ向けて、都市化の象徴としての『みずほ』が巨きな姿を垂直に伸ばしていたので、《初々しく垂れ下がる幼い穂》をさす晩夏の季語・瑞穂と、銀行名の《みずほ》を対比的・掛詞的に詠みました。近くで鳴るジャズ・ライブのしらべも心地よかったです」
コレド室町が特別に整備された場所というのもあるだろうが、この俳句が名所や旧跡でなく銀行で詠まれたものだと思うと、改めて驚きがある。
六行目:日本銀行 本店
ポケモンやMTGもよいが、やはりカードは日本銀行券が一番だ。俺のターン、福沢諭吉を召喚! 特殊効果でリーリエとブラックロータスを手札に!
日本銀行は言わずと知れた、日本銀行券(つまりお札)を発行している銀行だ。上空から見ると漢字の「円」の形をしているが、これは狙ったものでなく完全な偶然らしい。
来年からお札のデザインが変わる。福島出身の八畳としては千円札が野口英世でなくなるのが不満だ。
夢にも野口英世が毎晩出てきて、お札の肖像画が変わることの愚痴を延々と聞かされている。野口英世の愚痴ひでーよ。
日本銀行本店ができたのは1896年で、先の山梨中央銀行よりも30年古い。日本の歴史においても重要な施設であり、重要文化財にも指定されている。これもう普通に名所だろ。
今まさにお金を発行している場所だからか、他の銀行と異なり日本銀行本店には土曜日にもかかわらず守衛がいて、さらに入口の前には立ち入り禁止のチェーンが張られていた。
荘厳な建物を間近で見れないのは非常に残念だ。立ち入れる場所と建物の間はかなりの距離がとられていて、日本銀行を遠目に見ながら吟行するしかない。
立ち入り禁止がゆえの緊張した空気は俳句にも影響を及ぼした。
◆ 木々しげるコンクリートの木陰あつし (米澤)
◆ 松落葉潜る隙無し円の館 (八畳)
米澤「勝手に敷地に入ったらめっちゃ怒られそうな雰囲気でした」
八畳「ルパン三世どころか松の葉でさえも侵入できなそうだなと思った」
高村は豊作で3句も詠んだ。
◆ 馬鹿でかき日本銀行夏の空
◆ 緑陰の日本銀行鳥の声
◆ 堅牢な壁を侵さぬ木下闇
誰もが日本銀行に圧倒される中、あいたが詠んだのは次の句だ。
6音・7音・11音。激しく字余りだ。合計24音であり、5・7・5の17音からかなりはみだしている。
大胆すぎるこの俳句に八畳と高村は大興奮。
八畳「もんんっのすごいオーバーしてるな」
高村「でも逆にこれはこれでアリですね」
八畳「この過剰さが日本銀行とマッチしている」
絶賛する二人に対してあいた自身は怪訝な様子だったが、圧倒的なインパクトの前にして鑑賞者はただひれ伏すしかないのだ。
俳句はいくつ詠んでもよい
七行目:三菱UFJ銀行 日本橋支店
続いて三菱UFJ銀行。みずほ銀行に続いて二行目のメガバンクである。
ちなみにUFJは「United Financial of Japan」の略らしい。直訳すると「日本金融連合」、かっこいい。
この銀行、建物自体にはなんら特徴がない。いたってベーシックな銀行だ。
しかし視線を横にずらしてみると……
謎の巨大銀色物体がある。
実はこの物体は建畠覚造という彫刻家の作品だ。《瑞徴》というタイトルで、意味は「良い事の前兆」らしい。これが良い知らせ、なのか……?
なんとかこのオブジェで俳句を詠もうとしたが、八畳・あいた・米澤の3人はギブアップしてしまった。印象が強すぎて逆に詠めない。
しかしそれとは対照的に、高村と暇野はスラスラと一句つくりあげた。本職の俳人はすごい。
高村「炎昼の金属オブジェは熱くなっていますよね。『えんちゅう』で『円柱』を想像させてもいいかな」
暇野「詠んでくださいとばかりに、ひときわ目を惹く大きなオブジェがあったので、そこから『大きな男が知恵の輪で遊んだ後、それを棄てていった』というストーリーを考えました」
やはり俳人はすごい。
八行目:豊洲
次は全国的にも有名な銀行スポットだが、ここだけ日本橋からは離れているため電車で向かう。
しかし、その道中。
暇野「すみません、タイムアップになりました」
実は暇野、詩の勉強会が先に予定に入っており、それまでという条件付きで「銀行で吟行」に参加してくれていた。
貴重な俳人を一人失い、落胆する八畳一行。
だが、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。
高村「私の友達がもしかすると合流できるかも」
これこそまさに渡りに船。高村に連絡をお願いしつつ、次の地点で合流することにした。
電車を乗り継ぎたどり着いたは豊洲。そこで待っていたのが
歌人の田中翠香。彼は第66回角川短歌賞を受賞しているマジでガチなプロの歌人だ。図らずもすごい人が来てしまった。
そのように役者が揃った八行目は、
メガバンク四行の看板が並んでいる。
金融関連のニュースでよく使われる、全国的にも有名スポットだ。
田中「んー……できました! じゃあ帰ります」
実は田中も短歌の会合があり、それまでの参加なのだ。
「俳句は後で送りますね~」告げつつ、疾風の如く田中が去り、一行は再び4人へ。
高村とあいたはこのように詠んだ。
◆ 銀行の看板生うる茂かな (高村)
◆ 立ち並ぶ看板を見る白むくげ (高村)
◆ そびえる幟ビジネスバッグに汗が落ち (あいた)
米澤はビギナーらしくて逆に新鮮な句を詠んだ。
米澤「いろんな銀行が集まっている、蝉がいるという、他の銀行にはない点を取り入れたかった。また、銀行というお堅い場所に擬音を入れてみたかった。蝉がいて嬉しかった」
八畳もそこそこに良い句が詠めたと思う。
八畳「午後3時を過ぎ、平日ならもう銀行の窓口は閉まっている。その昼下がりから蝉の鳴き声が強まった」
昨今の異常気象により、午前中から正午までは暑すぎて蝉は静かだったのだ。蝉も自粛する中、銀行で吟行する我々は一体……
4人が詠み終わってしばらくした後、田中から先ほど詠んだ句が送られてきた。
わずか数十分の滞在で7句も詠んでいた。
送られてきた田中の句を詠んで、
高村「すごーい!! さすが田中翠香やで」
八畳「これはすごい……プロの技を見てしまった」
と感嘆する二人。
「普段は短歌ばかり詠んでいるので、俳句を詠む貴重な機会をいただけて嬉しかったです」と謙遜していたが、短詩のプロは俳句もすごかった。
バンクでばんばん句を詠もう
電車に乗って再び日本橋へ。
東北を貫く日本最長の国道、国道4号線は日本橋が起点である。福島出身の八畳も幼少から慣れ親しんできた道路だ。
ちなみに、終点は青森市なのだが、
起点の日本橋に比べると、地味。最長の国道の終わりなのだからモニュメントの一つぐらいあってもよいのではないだろうか。
九行目:スルガ銀行 東京支店
日本橋にそびえる くろがねの城。九行目はスルガ銀行 東京支店だ。
八畳イチオシの建物である。
漆黒の格子で全体を覆った、シンプルだが存在感のある外観。道路向かいの豪華絢爛な三越本店とは好対照をなしている。
すでに17時近くなのに、気温はまだ30度以上ある。
残った力を振り絞りつつ、八畳一行は吟行にあたった。
米澤、あいた、高村はスルガ銀行でこのように俳句を詠んだ。
◆ 大西日浮かび上がるは黒きビル (米澤)
◆ 涅色の川に浮かべたビオトーン (あいた)
◆ 漆黒のスルガ銀行大西日 (高村)
あいた「涅色は川の底のようなよどんだ茶色っぽい黒のこと。銀行の近くに川があるので、建物の形をビオトーン(川の護岸・環境保全ブロック)に例えた」
建物の格子を川岸のブロックにまでつなげる飛躍は見事な文学性だと思う。
八畳も建物と川の関係性から詠んだ。
◆ 太宰忌の川面にうつるモダン調 (八畳)
八畳「太宰忌は太宰治の命日で、夏の季語。そしてスルガ銀行の真横には日本橋川が流れる。太宰は玉川上水に身投げしたことで有名。太宰忌と川とくれば当然入水のことを思い浮かべるわけだが、それを受けての下五を《モダン調》とする意外性。モダン調はもちろんスルガ銀行のこと」
仕掛けてんこ盛りな句を詠めたから得意げに語る八畳。
高村「太宰の俳句良いですね! ただ、大宰忌を桜桃忌にすると太宰と川とのダイレクトなつながりをもっとマイルドにできるかもしれません。俳句ではそういった言葉と言葉の"つかずはなれず"の距離感が重視されます」
おお、アドバイスが的確だ。
確かに上五が「太宰忌の」だったときより句に広がりがある。
ちなみに、スルガ銀行の前に流れるのは玉川上水でなく日本橋川だし、桜桃忌(太宰治の命日)は6月19日だ。「銀行で吟行」実施日の1カ月以上前である。
そう見るとかなりちぐはぐな句ではあるが、まあ文学なんてイリュージョンだ、嘘でも華やかな嘘ならそれでいい。
十行目:みずほ銀行 兜町支店
午前中から励んでいた「銀行で吟行」も次で最後の地点だ。すでに日も落ちつつある。
一行は日本橋川を渡り兜町方面へと向かった。兜町は「日本のウォール街」とも呼ばれる国内屈指の金融街である。
その象徴ともいえるのが、
東京証券取引所だ。任天堂の株主とかになってみたいものである。
その東京証券取引所からすぐ近くにあるのが最後の目的地、みずほ銀行 兜町支店だ。
見た目はなんてことない普通の銀行だが、実はこの場所、
銀行発祥の地である。1873年にここで創立された第一国立銀行が日本初の銀行だ。数回の合併を経つつも、その流れは今日までみずほ銀行に受け継がれている。
ちなみに第一国立銀行を創ったのは、次の一万円札こと渋沢栄一だ。嗚呼、また野口英世の愚痴が聞こえてくる……
そのように由緒正しい場所ではあるが、銀行自体は普通の支店であり、さらに日本橋と比べると兜町エリアは閑散としている。
つまり題材になるようなものが一切ない。発祥の地だからと下手に着飾っていないのは美徳だが、「銀行で吟行」では堂々とアピールしてくれていたほうが都合が良かった。
銀行を語る上で無視できないみずほ銀行 兜町支店にて、3人はこのように詠んだ。
◆ 夕涼や証券も葉もそよがせて (八畳)
◆ 残香に紙幣の手垢夏の川 (あいた)
◆ 夏柳揺れて銀行最初の地 (高村)
あいた「場所が金融街なので、昔から紙幣が人の手を行き交っていたんだろうなと空想しました。お金に関するよくないこととかも、川風に乗せて流れていくのかなと」
高村「銀行発祥の地の近くに夏柳があったので、それを使いました」
やはり誰もが由緒正しい金融街であることを意識した中、一人マイウェイをひた走ったのが米澤だ。
米澤「宝くじ売り場を見た素直な気持ちを詠みました」
素直でよろしい。
「銀行で吟行」やってみて
最後の銀行で俳句を詠み終わったのは18時。
気づけば朝から夕方まで8時間以上も吟行していた。
ダジャレで奇想天外なシチュエーションを作り、それを元に行動するのが「銀行で吟行」のコンセプトだ。確かにどう詠むか悩んだタイミングはあったが、想像していたよりも難なく吟行できたというのが正直な感想だ。
なぜ「銀行で吟行」なのに普通の吟行のように行えたのだろうか。実践した当事者として、八畳は一つの答えを出せる。
銀行にも風情はある
もちろん事前にセレクトした銀行がそれぞれ特徴的な場所だったというのもあるだろう。しかし、十六銀行 東京支店やみずほ銀行 兜町支店のように、あからさまな特徴を持っていない銀行でも俳句は湧き出てくる。なんだったら素人目ながら良い作品もできたと思っている。
もちろん通常の吟行で巡るような名所旧跡と比べれば、どの銀行も風情とは遠い存在だ。しかしそれでも、ゼロではない。「銀行で吟行」を進めるうちに八畳一行の「銀行の風情センサー」が研ぎ澄まされ、米粒ほどかもしれない銀行の風情を正確にキャッチ、そしてそれをアンプよろしく増幅させ、俳句にまで昇華できるようになったのだ。
ダジャレが作るシチュエーションは架空の存在だが、それを実行すれば現実のものとなる。今の八畳にとって「銀行で吟行」はもはや奇想天外な非現実ではない。俳句を詠む有効な手段として、確かに形を持っている。
そして帰宅。
銀行で吟行した後の
ミカンとアルミ缶の酒
旨め~~~~~~!!!!!!
終
【おまけ】「銀行で吟行」PV
PV(プロモーションビデオ)の説明欄に真面目なステートメントもあるので、そちらもぜひ読んでみてほしい。
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