夏になると会えるカエルがいる。 決まって夜、自宅マンション前の道路にのっそりと佇む。仕事後の疲れた脚を、てくてくと動かした目線の先に突然現れるので、初めの2, 3回は「わっ」と声が漏れた。 このカエルには謎が多い。 周りは住宅街なのに、昼間はどこにいるのか? 最近の日本は暑すぎるけど死なないのか? 夜は道路で会えることが多いけれど、車が通らないとも限らない。轢かれないのか? 様々な疑問が浮かぶが、このカエルに会うと、まだ生きている、という謎の安堵と嬉しさがこみ上げる。2
文章や日記をつけることが好きだが、それは生産性があるのか?と考えることもよくある。インスタグラムの写真の投稿も、投降した後にふとよぎる。 生産性がなければ、その過ごした時に意味などないのではないか。 そんな気持ちになるのは現代の病なんだろうなあと思う。 ただその生産性とは、何をもって生産性というのか それは、大勢が認める価値、そしてそれを生み出すことを生産性というかもしれない。(今考えた笑) 仕事は生産性の世界 それも大事。だが、大勢が認めなくても、自分の価値を感じられる
自宅の最寄駅の改札を出てすぐのところに、チェーン店のカフェがある。そこには街中ではあまり見かけない屋外席があり、外気に触れていたい自分は仕方なくその席でコーヒーをよく飲む。今日もそこで物思いに耽っていたところ、突然、花火の音がし始めた。そういえば今日は近くの公園でお祭りがあった。そんなことを考えていると、あれよあれよと人が集まり始めた。 花火だよ! 何の音? おかーさーん!花火見たい! そんな声や、音のなるほうへ子どもからおじいさんまで、走り出す人々。自分の座っていた屋外
日常は変わらないけれど、日常の価値は切り取り方次第である うまく切り取るには 何を知らないのかを知ることだと思う 足らぬを知ることは、価値の探求 そうすると出会いが際立つ 子どもは、意志がなくとも出会いに溢れている 楽しみ方は、絶望する前に子どものうちに身につけたほうがよい気がする
ネタバレあるので、楽しみにされている方はご注意ください。 -------------------------------------------------- 1時間とは思えない濃密な映画、と評判は聞いていたけど、本当だった。 原作も読んでいて、原作と同じく伝わってくるものがあった。 主人公の藤野が引きこもりの京本を外に連れだしたのは、やらなければよかったことなのか?(映画内では、外に出たことにより京本が無差別殺人者に殺害される、という描写があるため)と藤野が言っていた
SNSを多く利用している。 instagram、Facebook(これは幽霊アカウント)、Tumblr(これもほぼ幽霊)、X(旧Twitter)、Threadsなど。 それぞれのSNSには色があって、どんな内容を書くのに向いているかが変わる。と思っている。 自分で書き分けているだけだけど、文の毛色が変わるのがおもしろいと思う。 Instagramは大衆向け、購買欲促進、商品説明、ビジュアルメイン。 Tumblrは個人的な感想、文章メイン。 X(旧Twitter)はさらに