生きた時間
note120th.
毎日絵を描くことがコツコツ続いています。
そうするとフラが毎日できなくて。noteも絵もフラも、できたら毎日楽しく取り組みたいことだから、どうしたら毎日できるのか方法を模索中です。
話は変わって。
昨日からミヒャエル・エンデの『モモ』を読みはじめました。
なんとなくバイト前に図書館に行ったら、なんとなく久しぶりにモモが読みたいような気がして、手に取ったら、表紙の差し色が昨日夢で見たドレスと同じ色で「オレンジ!」と思ってびっくりしました。
そして、半分くらいモモを読んで、時間どろぼうについて考えて。今朝起きて、西野さんのVoicyを聴いてたら、まさにテーマが時間どろぼうの話で「時間どろぼう!」と思ってびっくりしました。
自分の時間を生きていると、毎日のなかに、こんなふうに、自分に必要なキーワードが潜んでて、それを拾って行くと、未来に繋がるようにできている。世界は、そういうシステムでできている。最近、そんな気がします。
時間は、ほんとうの持ち主から切りはなされると、文字どおり死んでしまうのだ。人間というものは、ひとりひとりがそれぞれの自分の時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。
ミヒャエル・エンデ『モモ』 p201より
今日の私のキーワードは「時間どろぼう」。
そして、「生きた時間」と「死んだ時間」について考えること。私にとって、生きた時間とは何か、死んだ時間とは何なのか。これを『今』、考えることが大切なんだ。先送りにしないで、『今』考える。その先に、未来のキーワードがあるような気がする。なんとなくね。
それでは、あなたの今日が「生きた時間」のきらめく今日でありますように。またね♡