私はnoteに向いてない
まくら
"日本人全員が「この紋所が眼に入らぬか」と言われて「それがどうした」と言い返す人が一人も出てこないような番組を見て満足するとは思えない。"
(林 浩一『憂愁の物理学』より)
なんて引用書くとさ、「知識ひけらかしちゃって…」とか筆者の人となりに対して陰口言う輩が出てきたりするんだよな。超うぜぇ~。
もっと内容そのものを見て、「そんなことが書いてある物理学の本って何なんだよ~」とか笑い飛ばしてくれりゃーいいのに。
それマジですか?
それはともかく、筆者のnoteにスキをすると、ある確率で「えっ、そんなところにスキつけるの?」というメッセージが出る。
以前、「テキスト以外はexplorerからも書けるよ」と何気につぶやいたら、1、2日のうちに「スキ」が複数ついて驚いてしまったことがあるもので。
何でそんなクッソどうでもいいとこに「スキ」するかなぁ。
いや失礼。本当にどうでもいいと思っていたら、そもそも書かない。
でも何というか、そういうのは「表現」ではなく「業務連絡」みたいなもので、好き嫌いを云々されるタイプのものではないと思っていたので。
みんな、マジでそういうのが好きなの?
読者自身にとってのお役立ち情報だから?
こっち系のが求められているのだとしたら、残念ながらご期待には沿えない。
逆にこちらが「現場にいたからこそわかる貴重な情報」だと思って出したものは、スキどころかビューもろくにつかなかったりする。
読者の好みをよほどわかっていないのだろうか。
でもやっぱり、書きたくないものは書きたくないし。
エッセイ? コラム? それとも…?
昨今はさふ云ふ「お役立ち情報」しか認められない世の中になってきてるんでしょうかね。
以前見た誰か(誰だったか忘れた)のnoteで、「エッセイ、コラムは読むに値しない」と書かれていたのがあった。
なんか殺伐としたものを感じる。
「お前の感性なんか出すんじゃねーよ。俺は俺の役に立つ「記事」しか読みたくねーんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」てなところでしょうかね。
筆者もタグに便宜上#エッセイ とか、#コラム とかつけたりしますけどね、厳密に言うとそのどちらでもないと思っている。
英語でessayと言うと「論文」とかも入るでしょ。やっぱ違うし。
コラムはもっと、時事問題扱ってたり、アカデミックだったりするイメージ。まあ、ふわっとした解釈ですけど。
じゃあ何なのか。
それはもちろん、随筆ですよ。随筆。
かの徒然草の、いや枕草子の時代から日本人には馴染み深いあれ。
と書くと、「お前の文章が徒然草や枕草子と張り合えると思ってるのか」と笑われるのか? いやそれは変だろ。
ブログで日記を書く人は沢山いるけど、その人に対して「お前の日記が土佐日記や紫式部日記と張り合えると思ってるのか」とは誰も言わねーじゃねーか。
note勉強会
そんな中先月のnote勉強会に参加させていただいた。
タグよりも、タイトルのつけ方が大事、とかいろいろ。
帰りにピーコックストアに寄ってけばよかった(そっちかよっ!)。
ワケあって歩行困難のため行くのが面倒になり、そのまま帰ってきてしまった。
2月末で閉店になってしまったなんて。
地元・青山の皆様に親しまれて40年にもなるが、建物の老朽化のため取り壊しとなったのだそうだ。
話を戻す。
でも今の時代web上で良しとされるタイトルって、
内容が容易に推察できたり、検索にひっかかりやすかったりするやつでしょ。これはnoteに限らないのだけれど。
これが正直、あまり気が進まない。
読むのは人間なんだよ。
これも以前、SEOなんかクソくらえという意味のつぶやきをしたら、ついにスキがつかなかったことがある(爆)。
誰もが、少しでも目立つように、検索上位に行くように目指しててさ。
ったく、何がダイバーシティだ。少なくともこの1点においては、価値観は多様化どころか画一化しているように思えて仕方ない。
全部読んでから、どうしてそのタイトルがついているのかがやっとわかる、そんな考えオチのタイトルだってやってみたい。そんなのは検索エンジンは絶対拾わないだろうけど。
ピースオブケイク、というか、noteの中の人としては「ウチは全然かまいませんよ。アナタのnoteが人目に触れる機会が少なくなるかもですが」といったところとは思われるが。
確かnoteもされている歌人の枡野浩一さんの短歌に、こんなのがあった。
「誰からも愛されないということの勝手気ままを誇りつつ咲け」
どこまでやれるんだろう。
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