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風に誘われて、カラオケしました。
ママ~
おばちゃんが 歌ってるよー。。
あらあら
ほんと。ふふ。。あまりうまくないけど拓郎さんに合わせて
歌えば 何とかなるね。。今日は、なんか秋らしく涼しいから
いいね。。やっぱり、選曲は拓郎さんよね。、、。(笑)
ママ~
なんか よそのおじちゃんも混じってる?
ん?
あら。
そうなのかしらねえ。。
はい
そうです。
時々、つぶやいてくださいます。
私、
何度か、noteで一人カラオケをしました。
ジュリー、GS、今は亡き三羽烏の渋いおじさんたちetc.
でも、やはり 秋の夜はこの拓郎さんしかないのです。
特に、こんな涼しい夜はね。
ちなみに蛇足ですが過去記事です。
ふふ。。
既にご覧いただいた方はスルーでお願いします。
「吉田拓郎」。。(敢えて、敬称略で・・・。失礼をお許しください。)
なんと 先ほど ぼうやが言ったように noteの方も少しだけ
席に いらっしゃいます。
私の熱い拓郎愛に共鳴して頂いた方です。
素晴らしいうたや都都逸を作られます。
さて、どんなカラオケ大会になりますでしょうか?
リラックスして さら~とお読みください。
時々、Sen-singさんの推しコメントが入ります。
Sen-singさんの推し曲。。
さすが、拓郎ファン。。
※
「永遠の嘘をついてくれ」
「吉田町の唄」
「外は白い雪の夜」
「夏休み」
「リンゴ」
「祭りのあと」
「たどり着いたらいつも雨降り」
「古い船をいま動かせるのは...」
「春だったね」「まにあうかもしれない」
「いつも見ていたヒロシマ」・・・ ・・・
ここにも がち拓郎ファンみっけ。
みんな大好きな曲です。「吉田町の唄」なんて、もう泣きながら
聴きました。青年らしく言葉が他にない素敵な詩です。
うれしいな。。
では
独善と少し検索した僅かですが拓郎話で、しみじみ ひとり(ふたり)カラオケを始めます。
あ、先に。。
この時代と言えばね。
私のnoteのお友達で、拓郎のふるさとにお住いのかたが居られます。
その方も、学生時代 お兄様の影響でギターを持ち ビートルズや
GSに耽ったそうです。
長髪で 末広がりの「Gパン」を履いて闊歩する。まさしく
かまやつじゃんね。
大学に行けば、まず 部室に行く。
思い出した。旧い友人に、同じく長髪、ジーンズで
時々 校庭であじってたとか。
拓郎はアジらないけど ひろしまを見てた。
もう、ど真ん中ですね。
拓郎のうたで何がすき?と聞かれれば、やはり これでしょう。
「落陽」
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♪~戻る旅に 日が沈んでゆく~でもまた、きっと日が昇ることを信じて !」
by/Sen-sing。
所謂 今でいう「フリーター」もしくは「ぷー」の流れ者。その歌詞が当時の若者には、なんか 心に迫るものがあったのか。。。今も響く。
なんか、切なくてねえ。。
いやあ、大好きなんです。下手だろうが何だろうが、関係ない。
一人カラオケでがんがん歌います。
ライブバージョンを聴くと なんか泣きそうになります。
荒っぽく歌う拓郎の姿は、かっこいいです。
「流星」
♬正直だった悲しさがあるから。。。♬
恋をしているひとには 切ないよねえ。。少女のように、、、を
忘れずに。。いつまでも瑞々しくいたいとこの曲を聴くと思います。
「夏休み 」
.鼻歌で歌います。
あの頃の、「ねえさん先生」、って響き、なんか哀愁がありますねえ。。
ほわーんとして 照れくさくて、田舎の川や夕日の校庭を
思い出します。
あの時代、同世代の景色が浮かびます。なにも、怖い物がなかった、あの頃のこと。
「結婚しようよ 」
フォークをメジャー・シーンに押し上げた楽曲。
この年2月に発生したあさま山荘事件の頃から全国的にヒットしはじめ春の訪れとともに順位を挙げて3月にオリコンチャート3位を記録し[40万枚以上を売る大ヒットとなった。- Wikipediaより。
作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
編曲:加藤和彦
僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら
約束どおり 町の教会で 結婚しようよ Whm・・・
古いギターをボロンと鳴らそう
白いチャペルが見えたら 仲間を呼んで 花をもらおう
結婚しようよ Whm・・・ もうすぐ春がペンキを肩に
お花畑の中を散歩にくるよ
この明るさ。若い。結婚の重いイメージが飛んだ。
ふわーっと明るくて
幸せいっぱいの感じ、いいですよねえ。。。
素直でなんかほんま可愛らしい。若いねえって 今は思う。
頑張れっていいたくなるわ。あの頃 ラジオから流れてきて
今ほどは思わなかったな。
今 ほんと こころから彼の声で生歌聞きたい。この歌が愛しい。
70年代の香りですねえ。。のんびりします。
「外は白い雪の夜 」
相手への未練が立ち切れない.
女性の気持ちが切なくて痛い。いやあ、おとなやねえ。。。
外は雪、って。 切ないねえ。。
「人間なんて」
加藤和彦さん編曲。プロデュースも手掛けたといいます。
松任谷正隆さんのピアノに加藤和彦さんのカッティングギターで始まるイントロがかっこいい。
想えば 高校時代 男子はみなギターに憧れてた。
拓郎は、少し上の世代だけど 彼らにすれば、カリスマだったよねえ。。
妻恋コンサートでのこれを聴くと泣きそうになるの。家事しながら
よく聞いたな。知らない土地へ赴任して彼がいたから寂しくなかった。
「♪人間なんてララララララララ」と歌った。。
「イメージの詩」
拓郎を評してひとは言う。
1970年代前半の吉田拓郎がもたらした最大の功績は「本質的な自作自演の確立」だ。作詞・作曲・歌を1人でこなすという、つまりは、現在のJポップ市場の核を成す自作自演音楽家=いわゆる「シンガーソングライター」の嚆矢(こうし)としての吉田拓郎。
他の誰でもない、借り物でもない、あくまで自分ならではの強烈過ぎる個性を放っていた。つまりは「本質的な意味での自作自演」だったのだ。
デビュー曲『イメージの詩』(1970年)の中で高らかに宣言される「♪古い船を 今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」。
学生運動などに大きく揺れる時代を表現しながら、それ以前の「反戦フォーク」による直截的な文字列に比べて、より文学的/抽象的で、幾重にも解釈の幅が広がり、結果、多くの若者の気持ちをがっちりと掴み取った。
デビュー曲『イメージの詩』(1970年)の中で高らかに宣言される「♪古い船を 今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」。
学生運動などに大きく揺れる時代を表現しながら、それ以前の「反戦フォーク」による直截的な文字列に比べて、より文学的/抽象的で、幾重にも解釈の幅が広がり、結果、多くの若者の気持ちをがっちりと掴み取った。
出典東洋経済on-lineスージー鈴木
「祭りのあと 」
日々を慰安が吹き荒れる。
もう恨むのは止そう!
祭りのあとの無常感。
ああ ため息しか出ない。
好きすぎてねえ。。
ああ
堪能しました。
あ、
そうそうSen-singさんの推し曲~「永遠の嘘をついてくれ」~を
忘れてました。みゆきさんのファンなんですよね。
「一晩中、歌ってもいいですよ(時々は中島みゆきを挟んで へへっ)」
って 聴いてたのに。。
中島みゆきさんに頼んだと言われる曲です。
拓郎が曲を作れなくなった時 頼んだ。。
みゆきおねえさん かっこいいねえ。。
https://note.com/spring_hi/n/nc37d1725eb37Sen-singさんより。
これでおしまいです。
彼の曲は若いころからずっと 傍にいてくれました。
よく、梅田のジャンカラで友人と歌いました。
ホントに音痴で申し訳ないと思いながら、ガンガン歌いました。
今も拓郎のうたは 私の中のバイブルです。
お読み下さってありがとうございました。