みどりの囁き
おはようございます。
今朝は遅めのコーヒーです。
昨夜こと
わたしは何にこんな憤りを感じているのだろうと
眠いのに何がそんなに哀しいのだろうと
自問自答していました。
これを読んでくれている方がいるとしたら
訊いてみたい
あなたは幼い頃、人見知りでしたか?
大人の陰に隠れたり
手を挙げられなかったり
誰かが遊んでる時に「まぜて!」
って、言えましたか?
わたしは引っ込み思案でおうちの中で踊っている内弁慶そのものでした。
だけど別に暗いわけじゃない
ずかずか土足で踏み込むお友達とお喋りできない
寄ってくる根暗なお友達とは話が合わない
世界に悲観しているわけではなく
楽天的なのにそれを外側に出せない
いま風に言うとコミュニケーションに障害があるからですね笑
小学生の時、学校のIQテストに引っかかり先生に呼び出されて理解しました
一般的に社会の多数を占める人々と元々持っている性質が異なる
それは数値でみると良いことのようで
この国のシステムには不適合でありました
また、家庭環境は恵まれていて
両親をいまも尊敬しています。
だけど、彼らとわたしは明らかに異なり
本質において理解は得られないと2歳のときに言葉では言い表せない体感がありました。
それからは、
手足を雁字搦めに縛られているような感覚で
発展途上国の子供たちを見るたびに
虐待や家庭環境の悪い子とお話しするたびに
〝側から見ると何の不自由もない〟
何がそんなに不満なんだって
自分は卑しい人間だと思うようになりました。
大人になって、大学をドロップアウトし
幸運にも就職した先で似通った頭の使い方をする方に出逢い結婚をしました
理解者が世の中にできたことがうれしく
一般的な恋人や夫婦の形ではありませんでしたがしばらく続きました
時が流れて
ひょんな繋がりから彼以外の世界が拡がり
ひとりになりました
それは香りがきっかけで、人間の顔の不思議さの研究にのめりこみました。
あの頃は夢中だったので気づかなかった
何も持たず器を差し出して心は預けていなかった
それから自分を救える人間は自分しかいないと休まずに此処まできました。
いつの間にか
わたしが存在できる処を手に入れることができていました
いま振り返ると立ち上がるに必死だったと理解できます
その時すでに社会に出てから十数年が経過し
ようやく世界に居場所を創り始めたのです。
それから数年しても
昨夜のようにどうしようもない夜があります
きっと
わたしのほかにも
こういう風に文字に心を預けたくなる方々には
仕方のないストーリーがあると思う
なぜいま、此処へきて苛立つのか
この世界はやさしさで溢れています
友達、仲間、先生、親、先祖、故郷、東京、国、地球、生かされている事実に感謝しかなく
わたしはわたしの愛するもので満たされています
だけど時に
永続する大切なものを失わないために
わたしの愛する方々が傷つけられないように
せっかく創った結晶を自ら壊して闘わなければならない
わかりました
人は醜く美しい
歪なままで存在を許し合える
そういう方々と共に世界を創るために
大切なものを衛るために
剣を持ちたいと感じています
冷たい風がいい
お散歩します
ではまた。
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