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これからの「正義」の話をしよう⑥


統一教会や創価学会の存在によって「政治」と「宗教」の在り方について考える機会も多くなりました。それに関連して「政治」と「宗教」は切り離すべきだという意見に対しては皆さんはどう考えるでしょうか。この投稿を読むと必ずしもそうとは言えないということが分かってきます。


「政治」と「宗教」


かつてアメリカの大統領であったジョン・F・ケネディは、就任当時カトリック教徒であったため多くの人から「カトリック教の価値観を押し付けてくるのではないか」と懸念されていました。しかしそういった不満を抱えた国民に対して彼は

「信仰は私的な事柄であり、公的責任とは何の関係も無い」

と言い、宗教と国益は全くの無関係であると主張します。多くの人がこの主張に賛同すると思います。



同様に皆さんご存じのバラク・オバマ元大統領も当時キリスト教信者でしたが、

「私はキリスト教信者の牧師になろうとしているのではなく、州の上院議員になるために立候補しているのです。」

と言い、キリスト教では禁じられている同性愛者妊娠中絶の制度を認めたのです。キリスト教信仰者としてはふさわしくないと多くのキリシタンから批判されます。


自分にとっての正しいと思うことや善い生き方などについて、「ジョン・F・ケネディ」 も 「バラク・オバマ」 どちらも宗教と共に何年もかけて人格が育てられてきたと言っても過言ではないはずです。もっと簡単言えば、彼らにとっての「正義」とは宗教に基づいている他ありません。本来持っている自分の人格を、政治という公的な場では用いちゃいけないという社会はばかげていると本書では述べられているのです。


もっと具体的な話を用いると、
「ジョン・F・ケネディ」 が信仰していたカトリック教の教えでは

「受胎の瞬間から、胎児は ”人” である。」

と考えられているため、妊娠中絶を認めるということは、人殺しを認めることと同じであると信者は批判します。これは「ジョン・F・ケネディ」本人にとっても同じ価値観であったはずです。


政治家として、自身が信仰する宗教とは関係なく政治を行うことは、果たして「正義」と言えるのでしょうか。


前回の投稿で紹介した結婚の在り方や、ゲイやレズビアンの同性婚についても、所得格差に対する累進課税制や、はたまた国の徴兵制度においても、私達はこういった論争にぶつかるといつも正当化できる1つの答えを探そうとしてしまいがちです。

人には「選択の自由」があるんだ!

こういったことを第一に重要視しますが、それだけでは「正義」について正しい答えは導き出せないことが分かってきます。だからこそ私達は、

正義(善い生き方)の意味を共に考え、異なる価値観を受け入れられるみんなのための文化を作っていかなければいけないのです。



そういったことを考えさせられる一冊でした。



以上、マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう ーいまを生き延びるための哲学』を参考に、これまで6つの投稿を通して「正義」について考えてきました。いよいよこの書籍については最後の投稿となってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。皆さんの生活に少しでも変化が見られたら嬉しいです。きっと人生が豊かになっているのではないでしょうか。次回からはまた新しい本についてみなさんと考えてみたいと思ってます。コメント、いいね、フォローの方ぜひよろしくお願いします!



追記))
私の投稿では「本で得た知見を具体的にどう生活に活かすことができるのか」を自分なりにアプローチしたコンテンツを配信しています。「本を読みたいけど時間が無い」方も読むことができるコンテンツを発信していくのでぜひともフォローの方よろしくお願いいたします。

この記事では、マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう ーいまを生き延びるための哲学』 を参考に書いてます。本の内容を通して一緒に考える時間を過ごしましょう。



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