![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155394599/rectangle_large_type_2_10bf364560af7de9c1c85883117f0918.png?width=1200)
芝生の生命力から、学んだこと
八ヶ岳は移住先として人気だ。別荘地ということもあり、特にリタイア後の高齢者に好まれている。
多くの方にとっては、八ヶ岳の何が魅力的なんだろう?と、私は、ふと考えてしまう。
空気の綺麗さ、水や野菜の美味しさ、四季を感じる、非日常感のある暮らしなど、色々あると思うけど、その中で「緑が豊かな環境」に惹かれている人は多いようだ。
確かに、日常が緑であふれるのは気持ちがいい。
でも、実際に暮らしてみると、緑が多い=芝生の手入れが大変ってことに気づく。特に広い庭を持っている人なんかは、芝刈りだけでも相当な手間がかかるはず。
でも、面白いのは、その手間を「大変だよー」なんて言いながらも、みんなどこか楽しんでいるように見えることだ。
なんでだろう?と不思議に思っていたんだけど、芝生の生命力がその理由の一つじゃないかと思う。
真夏になると、芝生の生命力は本当にすごい。ぐんぐん伸びる。まるで「僕を見て!」って言っているみたいに、あっという間に背が高くなる。
毎朝、少し伸びた芝生を見ては「昨日、こんなに伸びてたっけ?」と首をかしげるほどに成長する。
踏まれても刈られても、また立ち上がって伸びてくる。そのたくましさには本当に驚かされる。
考えてみると、人間って「成長するもの」を見たり、触れたりすることが本当に好きなんじゃないだろうか。
たとえば、子どもが少しずつ成長していく姿を見守ったり、新しい事業が形になっていく過程にワクワクしたり。
ペットや観葉植物だって、日々少しずつ変わっていく様子を見るだけで、なんだか心が元気になる。
成長のエネルギーって、私たち人間に色んなカタチで影響を与えているんだと思う。自然から日々の活力を分けてもらっていると感じる。
特に植物ほど、自然の偉大な力を直接感じさせてくれるものはない。
最近、都会の暮らしが以前ほど魅力的に感じなくなったのは、緑が少ないことも大きいと思うが、成長する余白を感じなくなったことが大きいのかもしれない。恐らく、その両方なんだろうけど。
みんなが不必要に急ぎすぎて、競争というよりは、奪い合いのような状況になっている様に見えてしまう。本当は「共創」であるべきはずなのに。
自然と触れ合える余白のある生活環境って、やっぱりいいものだ。人間一人一人に大きな違いがあるというより、実際は環境が人格に違いを生んでいるとさえ思う。
というわけで、芝生の生命力を見ていると、なんだか大きな存在を感じてしまう。
生命エネルギーを少しずつもらっているような気がするのかもしれない。
芝刈りをしながら、そんなことを考えていると、芝生との付き合いは思っていた以上に深いものになっている気がする。
散歩途中に、雑草に向かって「こいつらだけは、ホンマ。。」と罵しりながら、芝刈りをしている人をみかけても、私はそんなことを思うのである。