自己紹介(2021年10月)
初めまして。薬師川智子といいます。
私は「途上国農村の絶対貧困解決」のため、2016年からケニアでアルファジリという会社のCEOをやっています。ケニアから始まり、アフリカ各地でのインパクト拡大を目指しています。
自分を名乗るとき、社会起業家というのが一番しっくりくる言葉ですが、その中でも極めている分野をあげると
1. 貧困農村コミュニティの組織化
2. 絶対貧困者の収入向上を実現する仕組みづくり
3. 事業のリモデル力(過去の事業で様々な壁にぶつかり、ピボットを繰り返してきました)
といったところですので、Noteでは、上記のテーマをメインに投稿します。また最終的には、同じ分野で挑戦する方のお役に立てるような書籍を出版することも目標です。
事業内容
私たちが目指しているのは、絶対貧困農村の自助グループ『アルファチャマ』に対して、生活に関わるあらゆるサービスを提供し、多角化させていくことによって、農村全体の生活を向上させることです。
1. 絶対貧困農村の組織化
「アルファチャマ」という農村の近隣住民が15人程度集まって活動する、自助グループの組成と運営をサポートしています。アルファチャマの農家は、自動的にアルファジリ社の会員農家となります。
アルファチャマの「チャマ」とはスワヒリ語で、簡単に言うとUnofficialな金融の仕組みを意味します。『ROSCAs』と呼ばれる世界中に存在する仕組みが原型になっています。日本ではかつて「模合」や「頼母子講」と呼ばれる似た仕組みがありました。詳しくは、ROSCAsやTable bankingといったキーワードで検索してみてください。また、この記事はどんな仕組みか一番イメージつきやすいかもしれません。
アルファチャマでは、グループが毎週集会を開き、各自が50円や100円などの現金を持ち寄ります。グループで話し合い、持ち寄った現金をグループ内の誰かに貸付。借りたメンバーは、期限内に(一般的に2週間程度)10%の金利をつけてグループに戻す仕組みです。つまり、現金をグループのメンバー貸すことは、グループで貯蓄することと同義です。この活動を毎週続けると、貯蓄がどんどん増え、借りられるお金も増えていきます。これにより、貧困者同士でも協力してまとまったお金を貯蓄・貸借りすることができます。
(アルファチャマグループのメンバーが、お金を出し合い、会計担当メンバーが記録をしている様子)
このグループ金融の仕組みが生む強い人間関係や責任感、自律精神などを活用し、アルファジリは、2.で説明するような様々なサービスを提供します。
2. アルファチャマへのサービス
会員農家は、アルファチャマを通して様々なサービスを受けることができます。契約栽培、資材のローン提供、栽培トレーニング、農産物の集荷といったサービスです。
2021年10月現在では、39のアルファチャマがケニア西部のミゴリ郡・ホマベイ郡に存在し、計600名以上の会員全員が、アルファジリと大豆の契約栽培を行っています。そのほか、アボカド、パッションフルーツ、キャッサバ、とうもろこし、カボチャ、豆類など様々な作物の買取を行い、アルファジリは作物の安定した市場提供とその拡大に最も力を入れています。
(パッション農家)
またアルファチャマの存在により、会員は外部から労働者を雇わずにグループ内で農作業を助け合ったり、資材や耕作用の牛の貸し借りを円滑に行ったりするため、農作業にかかるコストを削減することに成功しています。
3. 卸売事業・小売事業など様々な流通網の拡大
会員農家の作物の安定した受け皿を拡大させるため、アルファジリは様々な形で流通網を築いています。
大豆の卸売の場合、豆腐メーカーや、家畜飼料メーカーに販売。
(出荷風景)
小売の場合、高所得者の居住区に青果店を、低所得者層の居住区であるキベラスラムに穀物中心の小売店を展開しています。
また、青果店についてはネット販売も行っており、自社ECサイトおよび、JUMIA(日本でいう楽天のようなサイト)で販売しています。現在、売上の半分が自社で展開するネット販売の売上によるものです。
自社サイトはこちら
青果店のインスタグラム
4. 加工
作物を未加工で流通させるだけでなく、会員農家の作物を利用した加工も行っています。例えば大豆は自社で味噌に加工し自社店舗で販売。落花生はピーナッツバターに。アボカドやカボチャ、豆などはランチメニューの具材に。このような付加価値創造が、作物買取価格の引き上げなどにも貢献しています。
5. 今後の目標
今後は、流通網の拡大と共に、農業に付随して、付加価値創造の拠点を農村部に作っていく取り組みを強化していきます。
⚫︎ 穀物小売店のフランチャイズ展開により、2022年中に店舗数を30へ。
⚫︎ 高所得者を対象とした青果店の事業を、ECをメインに拡大。営業利益率を2021年10月現在の約10%から20%へ引き上げる。
⚫︎ 養鶏に特化したマイクロファイナンスサービス事業の展開
⚫︎ 養鶏に付随して、農家が生産している大豆やとうもろこしなどを家畜飼料に加工。アルファチャマ地域の人々を雇用して加工を行い雇用を増やし、また原料の買取価格を上げながら、会員に飼料価格を安く販売することを実現する。
現在の会員農家数は600人程度ですが、絶対貧困農村に圧倒的なインパクトを与えられる事業モデルを確立し(現在の5,000〜8,000円の農業月収を2万円に伸ばせることが目安)、一気に1万、5万、10万人の会員数を目指して拡大していこうと考えています。
事業を始めるまでの人生
1. 生い立ち
1988年奈良県生まれで、サラリーマンの父と専業主婦の母、2歳上の姉の4人家族で育ちました。ごく普通の家庭だと思いますが、とても真面目な家庭でした。特に母は、私たち娘がよく勉強し、好きなことを極め、世界中を羽ばたき立派な仕事をしてくれることを期待していました。
そして母方の家系には能面師、彫刻家、藍染職人など職人肌・芸術肌の人間が多く、私もその遺伝なのか手が器用で、絵を描くことが好きでした。将来は画家になろうと、高校時代には、美大の予備校に通って絵の勉強に打ち込みました。
2. 将来の夢に悩んだ高校時代と大学進学
一方、勤勉で誠実な家庭環境と私のストレートな性格もあってか、10代のいつからか「人は社会に貢献するために仕事をする」と信じるようになりました。この信条もあって当時、私が画家として生きていくと想像した時、社会に直接的に貢献できるイメージが湧きませんでした。
ではどのように社会に貢献したいのか考えたとき、貧困をなくす仕事をしたいと漠然と考えました。社会をよく知らなかった私は、国連で働けば貧困をなくせるだろうから、国連に受かるような進路を選ぼうと考えました。2歳上の姉が、航空宇宙工学を学ぶためテキサス大学アーリントン校に進学したので、アカデミックレベルの英語は国連で必須だろうからと、私も姉と同じ学校に進学し、ひとまず国際関係学を専攻しました。
この時点で、まだ私の人生は具体的になっていませんでしたが、アメリカで一流の大学院に入ったら国連に近づけるだろうからと必死で勉強し、Summa Cum Laudeという、GPAが3.95以上でなければ得られない称号を授与し卒業しました。
(大学の卒業式と家族)
3. どう生きるのか?迷い抜いた社会人時代
しかし、大学卒業が近づくと、自分が大学院で何を極めたいのか、さっぱりわからなかったのです。開発経済学なのか?公共政策なのか?農業や資源に関わる学問なのか?何もわからないのに、大学院の準備なんてできるはずもありません。ただのガリ勉以上の何者でもなかった・・・。
貧困を解決したいのなら、大学院にいく前に途上国でボランティアなり働くなりすることも考えました。でも、社会に出たことのない私が、先進国よりも多くの課題を抱えた国で役に立てるとは到底思えませんでした。
どんな順序で人生を歩めばいいのだ?大学は卒業してしまうし時間がないなら、とりあえず社会に出てみてからまたこれからを決めようと考えました。ボストンで得たご縁で、農林中央金庫から内定をいただき、長崎県の支店に配属となりました。
日本での社会人生活では、組織とはどういうものか、金融の仕組みなどを理解するために役立ちましたが、銀行特有の非常に保守的・厳格な業務内容から、やりがいや目標を見つけることができませんでした。
4. 人生のテーマを見つけた!
人生悩むなら、大学卒業時に考えていた途上国での活動をやってみれば良いじゃないか。そう考え、青年海外協力隊に入隊しました。NGOなどではなく協力隊に応募したのは、組織のミッションなどにとらわれず、私個人が何をやりたいのか自由に考えたかったからです。
2014年、青年海外協力隊員としてケニア・ミゴリ郡へ赴任しました。大豆栽培と加工を普及させるという任務がありましたが、細かい成果目標などはなく、活動は自由です。自由に活動し農家とともに暮らす中で、私は農村の暮らしの素晴らしさに人生で最も感動したのです。日の出とともに一日を始め、土を耕し収穫し、収穫を一つ屋根の下で家族と食す。自然と調和したシンプルな暮らしの中に、ひとの幸福のあり方を見出したのです。
しかし一方、貧困という複雑な問題にも直面しました。知識不足や情報不足、信用の欠如、他者からの搾取、またこういった不利な環境のために失ってしまった自尊心など、貧困は収入の金額から語れる意味以上の複雑さを持っていました。この経験から、私は農村を中心とした貧困の解決に取り組むこと、すばらしい農村のあり方から幸福な社会を追究することは、私が一生取り組み続けられるテーマであると感じたのです。
起業と、困難を経て軌道に乗るまで
1. 協力隊入隊10ヶ月で起業を決意
貧困の問題を解決するために、まずは農村の人々が安定的・継続的に収入を得られ文化的な生活を送れるような仕組みをビジネスでつくろうと考えました。
国連を目指していた私が、なぜ起業なのか。それは、多くの組織では今この瞬間解決すべき課題に取り組むスピードが遅いと感じたからです。また、農業にまつわる貧困の問題は特に、サプライチェーンの上流から下流までが有機的につながっていなければ解決されないと感じました。農家が作っても売り先がわからない。買い手があっても作り手が欲しい量を作ってくれない。納期や価格の合意が大変。途上国では尚更、作り手と買い手の都合がなかなかマッチしないのです。多くの組織は貧困農村に種を配ったり、トレーニングを行うなどといった部分的な取り組みは行いますが、販路を保証しません。そのため、取り組みが成果を生み、収入を向上させるところまでやりきれていないと感じました。
ですから、まずは目の前の課題であるサプライチェーン全体を機能させることに取り組むため、スピードと柔軟性を強みにできる自分の会社を立ち上げることにしました。協力隊時代には、まずは農家さんに、ローンで肥料と種を買ってもらい、大豆の収量等をモニタリング。収穫できた大豆を買い取り、自分で売ってみるということから始めました。しかしなんと1回目から買い手に騙されて、約20万円の売上を払わずに逃げられてしまいました。
2. アルファジリ設立と変遷
初めから前途多難の予感の多かった協力隊時代でしたが、2016年1月に協力隊の任期を終えた翌月、アルファジリを設立しました。
⚫︎ 2016年:ミゴリに事務所を開設、大豆の契約栽培と家畜飼料メーカー等への卸売
⚫︎ 2017年3月:農林中金時代に出会った西田くんが副社長に就任
⚫︎ 2017年7月:ボーダレスグループに参画
⚫︎ 2018年5月:アルファチャマの仕組みを導入し、農家のローンの未払いが大幅に減少
⚫︎ 2018年10月:ニンニク栽培が盛んで、農業収入もミゴリの3倍ほどあるケニア中央部のニエリにて、ニンニクの契約栽培を開始し、ミゴリにもニンニク栽培を導入しようと試みたが、土壌の肥沃度や灌漑設備がないことから、栽培に失敗。
⚫︎ 2019年1月:大豆、ニンニクに加え、ミゴリのサツマイモ、ケニア中西部のグリンピース等をケニア最大の市場に大量卸し、サプライチェーンを確立しようとしたが、価格の乱高下が予測不能で損失を拡大、また農家の貧困解決への効果に関連性が見えず中止に
⚫︎ 2019年8月:ニエリ撤退し、ナイロビに事務所を開設。100種以上の作物を首都ナイロビのレストランやホテルに卸すデリバリーサービスを開始。取引先を30社まで拡大
⚫︎ 2020年3月:コロナの影響で、9割の卸先を失い、事実上中止
⚫︎ 2020年6月:ナイロビに青果店を開店し、盛況に
⚫︎ 2021年8月:キベラスラムに穀物小売店を開店し、盛況に
(キベラスラムの穀物小売店)
何と長い失敗の歴史。ビジネスとしても、農家への収入向上インパクトについても、2020年に小売店を開店以降、やっと軌道に乗ってきたと言えます。
2017年にボーダレスグループへ参画したのは、事業を進めていく中で、多くの仲間・会社とビジョンをともにし、強い横の繋がりを世界中につくることが必要だと感じたからです。この参画があったおかげで短期的には収益につながらない農村地域の組織化に集中することができ、アルファチャマは事業展開の主軸となりました。
(ボーダレスグループの起業家たち。日本から始まったこの社会起業家のプラットフォームは、グループの利益で新しい社会起業家の育成をしたり、新事業に投資したりするほか、起業家同士がノウハウ交換を行い事業の成長を支えあったりしています。今は約40名の社会起業家が、世界各国でソーシャルビジネスを行っています。)
3. これまでのチャレンジと成長
事業成功までの壁は、私の起業家としてのビジネススキルもありますが、何より人間力の低さだったかもしれません。起業したばかりの1~2年は、社員にお金や在庫を盗まれたり、取引先に売掛金を踏み倒されたり、契約農家にローンを踏み倒されたりと、人間関係や組織の問題に悩まされました。
精神的にも金銭的にも厳しい状況の中、2017年に行員時代の同期だった西田くんを副社長に迎えたこと(結婚していませんが、娘が1人います。ミゴリにあるOmbo Hospitalで、帝王切開で出産しました。この時の経験は本当に凄かったので、またいつか書きたいと思います。)、ボーダレスグループに参画して資金投入やノウハウ共有を受けられたことなどもあり、現場での課題解決や、社長としての本業に集中することができるようになっていったわけです。
何より、私自身が人に裏切られる経験をしながら、まずは自分が先に相手を信頼することで、互いに信頼しあえる人間関係を築けるよう、自己変革への努力をしたことが、最も私を成長させてくれました。自己変革に伴い、自然と良い人と出会えるようになっていき、組織も強くなっていったのだと思います。
そして最後に、「貧困農村の人々のため」という事業の意味をぶれさせることなく、最適な事業モデルを追求し、挑戦し続ける勇気は、私が元々持っていた強みだと思っています。上記の年表でもわかるように、私たちは大豆の契約栽培と卸売、ニンニクの契約栽培と卸売、多品目の作物サプライチェーン構築、レストランへの多品目デリバリーサービスなど、農産物流通網のモデルを何度も作りなおし続けました。その中で、トラックの故障で輸送が遅れ全てのグリンピースが腐ったり、市場での販売価格が急降下し大損したり、社員との軋轢により事業資金の一部を持ち逃げされたり、このような社員との諍いが会員農家からの不信感を招いたりと、数えきれないほどの困難がありました。
4. 困難を共にした社員の成長
しかし、そういった問題が起こるたびに、社員に「誰のための事業か」を伝え、新しいアイディアを考案し、諦めないことの大切さを伝えることに努めました。多くの社員は、社長が何度でも諦めずに挑戦し続ける姿を見て常についてきてくれ、大変な時はいつも、自分の休暇を返上してまで仕事に取り組んでくれたことを思い出します。
このような試行錯誤を経て、現場での実績を上げる社員が着実に育ってきています。2017年に入社したケニア人のポールは、元々農業とコミュニティワークに情熱を持っていましたし、アルファジリへの所属意識の最も高いメンバーでした。彼も私たちと一緒に失敗を経験しながら、2018年に役員がニエリへ移住してから、ミゴリ全体の統括責任者となりました。役員が身近にいなくなったことで、彼は責任感を高め、今となっては、新規プロジェクトなども、役員が遠隔でアドバイスするだけで着実に進めることができるまでに成長しました。
(右から、ロジャース:ナイロビで仕入れ・配達・売掛金の回収等を行う / ポール:マネジャーとしてミゴリ全体の事業・人材を統括 / 副社長の西田くん / 娘の琴里)
また、村ごとのアルファチャマを現場統括しているフィールドオフィサー(同じ村の人間がフィールドオフィサーとして採用される)のリーダーシップのおかげで、多くの自助グループの団結力が育っていっています。団結力の強いグループは、貯蓄や貸付だけでなく、食糧や生活品の助け合いや、独自プロジェクトなどを行っており、相互扶助の仕組みが大変良く機能しています。社員の頑張りがアルファチャマに活力を与え、コミュニティの成果へと還元され、その様子が他の社員やアルファチャマの刺激になるようなサイクルを生み出していきたいと考えています。
(中央、茶色のシャツを来た女性がフィールドオフィサーのリリアン。アルファチャマグループの一つPamoja 2のメンバーと一緒に)
首都の青果店の社員も、「彼こそがアルファジリファンを作っている」と言えるほど顧客から高い評価を受けている社員がおり、そういったロールモデルの存在が、少しずつ周りの社員の刺激になっています。ケニアでは全体的に、顧客の立場からサービスを行うという姿勢が低いと感じますが、ここでも「誰のため」を見失わずに仕事に向き合う姿勢を、社員同士で学んでいってくれることを期待しています。
(レストランへのデリバリー事業は失敗したが、小売店を開始してからの宅配サービスは、人気も上昇し、アルファジリの利益率を大幅に上昇させた。右のパトリックは、顧客からの評価が非常に高く、パトリックのファンも多い)
5. 日本人インターン生の積極採用
また、私たちが採用しているのはケニア人だけではありません。日本人の育成や機会提供も積極的に行っています。2017年から現在まで、私たちは80名以上のインターン生を採用してきました。インターン生は、学生や社会人経験者など様々で、ケニア人メンバーの手が届かない点をサポートしたり、アルファチャマの運営規定をまとめたり、新規プロジェクトを立ち上げたり、商品開発を行ったりなど、異文化の障壁を乗り越えながら事業成長や社員の成長に貢献してきてくれました。
インターン生が立ち上げたプロジェクトの例
インターン生は、インターン経験後、日本の一般企業への就職だけでなく、海外の大学院に進学しファイナンスの専門家を目指すことを決意したり、起業家を目指してボーダレス・ジャパンに就職したりしており、アルファジリとしても、インターン生のユニークな進路選択に貢献できているのではと思います。
インターンの応募は年中受け付けていますので、ご興味のある方は、お気軽にこちらからご連絡ください。採用担当の西田が対応させていただきます。
最後に
長文でしたが、自己紹介・会社紹介をお読みいただき、誠にありがとうございました。事業テーマに関連する様々な考察を書いていきますので、どうぞ今後とも、応援のほどよろしくお願い申し上げます。
日本企業の方へ
また、途上国の貧困を解決するため、日本企業様との連携にも関心を持っております。これまで、貧困農村のニーズに応えた商品やサービスの導入を目指し、現場に訪問いただいたりと、前向きなお話が増えています。ぜひ、お気軽にご連絡いただけますと幸いです。