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投資講座第18回「良い借金と悪い借金を区別して利用しよう」

連載開始からちょうど2年が経ちました。(1年前からは隔月連載)
ここまでお付き合いしてくださった方々に感謝を申し上げたいと思います。
さて、今回は、たまたま読み返した本に面白い下りがあったので、それにインスピレーションを受けて「借金」について解説してみようと思います。

ファウストとフォースタス

「借金」と聞いて何を連想されますかね?

色々イメージがあろうかと思いますが、ちょっと違う角度から考えてみて、まずはゲーテの『ファウスト』を連想してみましょうか。知っておられたらそのストーリーを思い出してみてください。どうやら著者によって微妙に話が違ってくるみたいですが、だいたい次のような内容であったかと記憶しています。(あくまでワタクシの拙い解釈ということで、細部はご容赦ください)

生涯をかけて学問を探求したファウスト博士は、何の悦楽も悲哀もなかった人生を寂しく思っていた。ある日そこへ悪魔のメフィストが現れ、ドラえもんみたいに何でも願いを叶えてあげて人生をやり直すことができるのと引き換えに、満足したら魂をいただくという契約を示す。悪魔と契約することを選んだファウストは、それからは欲のままに生き、恋をして、富や権力を得るが、その過程で様々な悲しみや怒りも経験する。それらを通してファウストは、ついに己が探求してきた「宇宙の真理」を悟る。そこへメフィストが魂を徴収しに現れるが、懸命に生きて成長し続けたファウストを神は救済(redeem)して天国に連れて行く。

さて、ここで出てきた「救済する」= redeemという言葉には、「(借金を)完済する」という意味も持っているというのは偶然でしょうか。この話に出てくる「悪魔の契約」ですが、これもそもそも条件を事前に示して本人の自由意志で契約している点で、悪魔的でも何でもない公正な契約ですよね。つまり、ファウストはメフィストに対して「魂」という利子を払うことにより、人生をやり直すための「時間と能力」を借り、それを使って良い事をしたのでredeemによって天国に召されたというストーリーだと解釈できます。

一方、このゲーテのファウストは、元々ドイツにあった「ファウストの伝説」がベースになっているそうで、16世紀に書かれたマーロウの戯曲『フォースタス博士の悲劇』では以下のようなあらすじになっているそうです。(これも細部は違ってたりするでしょうが概ねこんな感じというワタクシの理解でご容赦ください)

学者としての人生に退屈していたフォースタス博士(ファウスト)は、ある日、魔術によってこの世のあらゆる悦楽と知識を得ようとした。そこに悪魔メフィストが現れ、24年間の魔術使用と引き換えに24年後には自身の魂を差し出すという契約を示す。フォースタスは、「24年もの間やりたい放題できるなら十分だ」と考えて契約書にサインする。そうして欲望の限りを尽くしたフォースタスであったが、「最期の日」が刻一刻と近づくにつれ、嘆き、悲しみ、絶望するようになる。終いにはメフィストに命乞いをするが、頼みは聞き入れられない。とうとう約束の期日の真夜中の鐘が鳴ると、恐ろしい悪霊が迎えにきて、稲妻と共にフォースタスを永遠の地獄へ連れ去っていく。

なんとも、救いのない話ですね……
それにしても、マーロウの「フォースタス」も結局は「魂」を利子として「魔術」を借りるという、債務の話に通じるわけですが、なぜここまで結末が変わってくるのでしょうか?
実はこのあたりを考えていくと、ただの「借金」にも「良い借金」と「悪い借金」とがあるのがわかります。「善行で贖罪できたファウスト」と「悪徳に溺れ地獄に堕ちたフォースタス」との対比からではありますが、ではどのようなことが借金する上での「善行」となるのでしょうか?
「借金なんてしないに越したことないだろう」なんて決めつけてないで、
また、借金することの「メリットとデメリット」という理解でもなく、
この世には「良い借金」と「悪い借金」があって、「良い借金」を繰り返すことで豊かになれることを理解していただきたいと思います。

借金で得られるものと地獄に落ちるメカニズム

こうしてゲーテの「ファウスト」とマーロウの「フォースタス」を比べてみると、それぞれ書かれた時代背景が違うので、当時の道徳観念によって話が変わっているという指摘ができます。
マーロウの時代には借金をすることや利子を取ることを悪徳だとする昔のキリスト教的道徳観が世の中を支配していましたが、ゲーテの時代には産業革命が起こり資本主義経済が発展してきた頃です。その頃に、借金という概念に劇的な変化が起こったであろうと考えられます。

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