東北へ想いを寄せることしかできませんが
今日は3.11。
あの日仙台にいて、震災報道をする身としては毎日毎日東北のことを考えずにはいられません。
とはいえ、家族も家も仕事も失っていない私は被災者ではありません。
ここ一週間で、もう幾度もテレビやラジオで耳にするし、ネット上でも被災地の現状と共にこのフレーズが並びます。
「東日本大震災が発生してから5年」。
東北在住の知人に話を聞くと
・沿岸部と内陸部で随分と「復興」への意識差があること。
・道路や防波堤、かさ上げ工事などが進む地域もあれば、まだ何も決定していない地域もあり、復興格差が生じていること。
・震災特番で放送される大震災や津波の映像はまだ見たくないという想いを持つ人が多いこと。
など…教えていただきました。
被災者も人それぞれ抱える悩みの深刻さや受け取り方が様々で、それが人間関係の歪みをうむこともあり
精神的に疲労することもあるのだとか。
「とはいえ、まだ5年だもんね。5年でもとどおりになるわけないから、徐々にだよね」
とご自分に言い聞かせるように仰っていたのが、「無理をしていないかな…」と心配になってしまうのです。
ですが、根掘り葉掘り聞くよりも普通に接することがよいと思っています。
2015年3.11《Walk in 東北》の催しより。
別の宮城在住知人は
「明日には気持ちが落ち着くだろう。(心が)変われるだろう。」と毎日思うけれど
何も変われないの。
と仰っていました。
変わる必要も、無理をする必要も私はないと思うのですが
当事者であり、今も避難している人を支援する活動をし続けているこの知人女性は
ご自分も不安定な気持ちを抱えているのかと…。
2011年の新聞掲載されたやなせたかし先生のイラストより。
支援は
【出来る人が、出来ることを、出来るときに】
ということをモットーにしているとよくこのブログに書いています。
今でもお金や物資の支援方法もありますが
私は自分の出来る範囲で細く長く、心の応援を続けてゆきたいです。
前記のお二人に共通するのは
【5年経っても癒えぬ心】と向き合っていらっしゃるのだということ。
アンパンマンみたいに一瞬で助けることはできませんし、なかなか直接的な「支援」は難しいのですが、寄り添うことくらいはできるかな。
会いにいく、とか。
メールする、とか。
雑談するだけでも…よいかなと思うのですよ。
私のできる範囲でね。
被災されたすべての皆さまが少しでも、心や生活が「日常」に戻れますように。
そして未だ行方不明の方々が、ご家族のもとに帰れますように。
2016.3.11