《夫の話》「まあいいか」の練習
某日。夫のポンコツにげっそりした。
本人に自覚は無いが、基本フワーっと生きていて、予想外のミスをする。何か頼んでも手直しが必要になることが多い。
そしてたまに、何をしてもひどいシーズンというのが定期的にくる。到来すると「うわあ来たか」と思う。いつまで続くんだ…とさえ、思わなくなった頃に、通常に戻る。通常に戻っても、日常のあれこれをフォローしているとかなり疲弊する。
彼は、例えば、
家具を組み立てたら絶対どこか破損する。
皿を買ったら絶対欠ける。
すぐどうでもいいことで嘘をつく。
牛肉と豚肉の違いがわからない。
トマトのヘタが「ヘタ」と呼ばれることを、40過ぎてから知り、私に得意げに話してきた。
トイレットペーパーのシングルとダブルの違いも、甥と姪の違いも、最近知った。
そんな夫。
この日は、息子の入園面接の準備を手伝ってもらったところ、夫の悪いところが出て、ある意味で見る者を唸らせる仕上がりになった。一番大事な願書は私が書き、その他の準備で事故ったのでまだよかったけど、今後たくさんあるであろう大事な準備は関わらせないと誓った。
文句を言うと揉めるだろうから何も言わずに心でとどめておいた。
この「言いたいけど言わないでおく」ということができるようになったのはごく最近のことだ。ひとつ大人になった気がする。
夫だけでなく他の身近な人に対しても、以前は言いたいことを全部言わないと気が済まなかったし、知りたい答えはちゃんと知りたかった。
でも夫にも「くどいところが嫌だ」と言われ続け、あれこれ言っても揉めるだけだと解って、やめた。自己満足の疲れ損だ。まだやめられない時もあるけど、「まあいいか」で流していく。平和に生きてくための修行なのだと思う。
「まあいいか」を極めれば、きっと私は平和だ。夫にも息子にも他人にも、いつかは自分にも緩くなれるだろう。
*
話は戻る。その翌日、用があり私は車に乗っていた。
ふと歩道を見ると、中年の男女が歩いていた。距離感からご夫婦のようだった。
どういう事情か女性はうつむき、男性がその背中に手を添えて、ゆっくりした足取りで2人は歩いている。
さすっているように見えたのは、気のせいだったろうか。ついいつかの自分と夫を重ねてしまった。
数年前、私は仕事が原因で、人生二度目の適応障害になった。
症状が重かった時期、朝出勤する時にいつも夫が背中をさすりながら、しばらく一緒に歩いて見送ってくれた。
「しんどくなったら帰っておいでね」と。
その頃のことを思い出した。
なんなら一度目のそれのときも、救ってくれたのは夫だった。本人はそんなつもりはなかったようだが、夫がいなければ、私は自分で人生を終わらせていたかもしれなかった。
ここから飛び降りたら全て終わるのだなと思って眺めた駅のホームの光景を、たまに思い出して恐ろしくなる。
当時はただの上司と部下だったが(直属ではなかったので気楽だった)、眠れない私と毎晩のように電話してくれた。不眠症のことや精神状況については本当に軽くだけ伝えていた。時々私が寝落ちしても、いつも面白がってくれた。
「仕事がしんどい」と話したとき、否定せずにいてくれたのは夫だけだった。
まだその部署に来て数ヶ月だったから、他の同僚や上司が悪気なく「頑張ろう」と励ましの言葉をくれる中、彼は「合う合わないもあるからね」「辞めても遊びいこう」と言った。
(そのころ私の誕生日があり、ドンキホーテの枕をくれたので、優しいけどセンスは無い人だなと思った。)
どれだけ救われたことか。
今ではその軽さに苛つくこともあるけど、彼は命の恩人なのだ。
運転しながら、少し泣いた。前日の苛立ちがぼやけた。
夫がどれだけ頓珍漢でも、あの頃を思うと感謝してもしきれない。結婚生活は恩があれば続けられるもんでもないのだが、少し足を止め、相手のことを改めて思い返すと、優しい気持ちになれる、こともある。
*
そうそう、去年諸々に耐えかねて夫婦カウンセリングに通っていて、そこで得た教訓がある。
通い始めた大きな原因は別にあるが、当時、夫のこれ見よがしな溜め息がとても嫌で、ふと先生に愚痴った。
すると「それは 疲れてるのサイン として受け取りなさい」と言った。
夫は、「妻(私)が夜イライラしているのが嫌だ」と話したら
「それは 助けてのサイン と受け取りなさい」と言われたそうだ。
(例えば相手が担当の家事をしてくれなくて、イライラしたとする。
ずるいなとか、自分の負担が増えて嫌だなとか思う。そうではなくて「疲れててやりたくない/できないのかな」と考える。そういうすると、かける言葉が変わる。もしかしたら分担も変える必要がある。)
先生にそう言われた時は正直、「それは信頼関係あっての話で、我が家は信頼が崩壊してるんですけど〜!」と思ったのだが、言われた通りにしてみると、こちらの心持ちと関係性は、少しずつ変わった。
教えられたことも努力したことも他に多々あってやっと今の安定があるが、これは1番大きな教訓だった。何かあったら自分に言い聞かせる。
そして、相手を思いやってみる。
夫だってミスしたくてするわけではない。
疲れている時もある。得手不得手がある。
私にだってあるじゃないか。散々いろんな迷惑かけてきたじゃないか。それを彼は何も怒らず、いいよーとだけ言って、流してきてくれたじゃないか。
*
そんなことを積み重ね、一緒の日々をなんとか紡いでいる。
結婚は苦行だと思っていた時期もある。
今も修行だなと思うことがある。
来世もこの人と結婚したいとは正直思わない。こりごり。
でも現世では、やっていかねばならない。別れる選択肢だけ捨てたのだ。
いい年して可愛い絵文字のLINEをくれる夫。
喧嘩していても、感動お涙頂戴のテレビ番組を見て泣き、「fumfumちゃん…長生きしてくれよ…」と言ってくる夫。
絶対に離婚してくれなかった夫。
人生単位のことを話すとき、「fumfumちゃんと息子くんが幸せなら人生それでいい」と、何の気無しに言う夫。嘘くさいしつまんないなと思ってたけど、本当にそれが最上だと思っているらしい。良いのかわからない。私にはまだその気持ちが想像できない。
私がどれだけひどく酔っ払って迷惑をかけても、「おもしろいからいいよ」と、のちのちネタにしてくる夫。うわー、やっぱり私も私だよなあ。
ポンコツっぷりに負けないよう、「まあいいか」の鍛錬を積み重ね、私も柔らかくなるための修行をしていく。
今やんわり良いようにこの記事を終わらせようとしたけど、きっと明日からもまた、げっそりしたり、されたり、時にまた彼に大波が来て、私はまた軽いノイローゼになったりするのだろう。
10年後は私たちはどうなっているだろう。生きていかねば。
2人ともどうか健やかに、私は夫以上のふにゃふにゃのふわんふわんになっていられれば、良い。