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情報社会に溺れて、瞑想している自分がいる|エッセイ

僕が住む浜松は車社会で、少しだけ田舎(都会に住んでいる人から見ればガッツリの田舎)に住まいとしているので、どこへ行くにも最短15分くらいかかります。

のどかでもあり、少し不便でもあり、という生活に慣れ親しんでいるので、なんだかんだ好きです。

2022年12月頃から、車での移動時間ではPodcastsを聞聞いていまして。最近は歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)が特段面白く、歴史上の偉人たちがどんな経緯であの有名な出来事を起こしたのかとか、こんな偉業もしてたのかとか、めちゃくちゃ変人じゃんとか。僕の知見にはない斬新なお話で、もう一度聞きたい感情と、次の新しい話を聞きたい感情の板挟みに葛藤しながらも、ただただ楽しんでいます。

今までの移動はぼーっと景色の変化を眺めながら、ぽーっと音楽を聞き流して、ときには気ままに形のない内省を繰り返している日々でした。

今はPodcastsのように車の中でも好きな情報を手に入れる時間にできるようになりました。ちなみにPodcastsは聞き終わったらダウンロードが自動で削除されるのが好いです。

ただPodcastsは設定していると、チャンネルが次から次へと絶え間なく流れ続ける便利機能が、思考を整理するにはデメリットになってしまって。

頭の中は車の運転とPodcastsのインプットでフルスロットル。余計な思考をする容量が残っていません。つまり、ぼーっと景色を眺めて、ときには気ままに内省するいとまがないのです。一方で音楽はメロディだけでも十分楽しめるので内省する余白があったことに気が付きました。

途中でPodcastsから音楽に切り替えればいいのですが、Podcastsの面白さも期待しているので次のチャンネルを簡単には止められない葛藤。

YoutubeやTwitterでのいわゆるネットサーフィンも同じなんだと思います。共感があって自分もやってみたいなーと思えるゆるいチャンネルは自分と向き合う余白があって問題ないのですが、やや難しいチャンネルはインプットに一方通行になって自分の感情と向き合う時間を作るのが難しい。

時間の使い方と思考・感情の整理に葛藤している今日このごろです。いつか解決できたらいいけど、その頃にはまた新たな葛藤にぶち当たっているだろうなとも思うので、どうしょうもないことなんだなと開き直ろうかな。

おわり。

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