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【実録】あの事故の記憶(2)

前回分からの続きになります。

※今回は事故の描写がありますので、苦手な方はご遠慮ください


女神が選んだ座席


ホノルル空港まで先生と一緒にバスで行き、「予約が落ちている」と言わることもなく、無事チェックインを済ませゲートへ。

ゲートには思った以上にたくさんの日本人観光客の姿が見えました。

ホノルルからオークランド(ニュージーランド)経由で、シドニーに向かう日本人のツアー客が何組かいたようです。

ボーディングが始まって、後方の座席だった先生に「じゃ、オークランドで」と気軽に声をかけた後、私の席のあたりに目をやると、そのあたりは日本人だらけ、しかもほとんど同年代の女性。

この時点で気分が重くなって来ました。

とにかく私は飛行機の隣席が日本人だと、どの国の人よりも緊張するのです。それが日本人の同年代の女性だとなおさらです。(今でもこの感覚は変わっていません)

すでに座っている女性2人に道を開けてもらい、窓際の席へ。挨拶も交わさずに着席。女性2人は友達同士のようでずっとおしゃべりをしていました。

「深夜便でこの席は辛いな〜」と思いながら、窓からホノルル空港の灯りをぼんやりと眺めながら離陸を待っていました。

離陸してから、何かの拍子に、隣の女性が声をかけてくれました。

彼女たちのツアーの話や、私がバックパックで一人で旅行していること、これまで行った旅行のことなどちょっと話をしました。

すごくいい感じの二人で安心したのですが、苦手な東京弁でした。

私は大阪生まれの大阪育ち、大学も大阪で当時は海外の色々な街は知っているのに、東京のことは何も知らなかったのです。私にとって東京弁は中国語以上に外国語感があったのです。


天井に真っ暗な空が見えた


そんな軽い会話を交わした後、私は旅の間毎日つけていた日記を書こうとノートとペンを取り出し、昨日と今日の分を書き始めました。

ホノルルでの先生との出会いや、リコンファームし忘れていて、予約落とされていたことなど。

その時、

大きな音と共に、

重い重い衝撃が機体を震わせました。

反射的にノートとペンを床に投げ落とし、

何が起こったのかを理解しようとしました。


「飛行機事故が発生した」というのが最初にわかったことです。

しかし事故が発生した飛行機に自分が乗っているというその事実が理解できませんでした。

意外にも頭はシーンと澄み渡っていて冷静でした。

まず何をすべきか、と考えました。

機内には何かの破片のようなものが飛び散っており、風が吹き抜けていました。

隣の二人はただ茫然としており、気持ちがもう壊れそうな様子でした。

まず、酸素マスクだと思い周りを見回したところ、酸素マスクが落ちて来ている席がチラホラ見えました。

しかし、我々の頭上には酸素マスクは落ちて来たいませんでした。

腰を浮かして、そのあたりをどんどん叩いてみましたが落ちて来ません。

これが致命的になるかもと思ったのですが、とりあえずは息は苦しくなかったので、酸素マスクのことは一旦忘れました。

あたりを見渡すとすでに救命胴衣をつけている人が見えました。

「そうだ救命胴衣だ」と思い座席下にある救命胴衣を、生まれて初めて掴み出しました。

そして座席前のポケットから「救命胴衣の付け方」のシートを取り出して、生まれて初めて真剣に読みました。

隣の二人はもう茫然とするばかりで全く何もできないような様子でした。

前の席は三人席に日本人女性二人だけだったのですが、彼女たちはなんとか自分たちで救命胴衣をつけ出していることを確認しました。

「救命胴衣の付け方」を真ん中の席の彼女の膝の上に置いて、

付け方の順序にしたがって、手順1、2、3と読み上げ、三人で付け始めました。

というより、私が三人分付けました。

その間、一切のアナウンスはなく、エコノミー席には一人のCAも姿を見せません。

機内にはずっと壁の破片と風が吹き抜けていました。

エコノミー前方の私の位置からは、ビジネスクラスの天井がなくなっているのが見えていました。

そこから、真っ暗な空が見えていました。

酸素マスクは依然おりてこず、救命胴衣をつけてしまうとすることがなくなりました。

そんな時、隣の彼女が、

「自分の部屋をきれいに片付けくればよかった」

とつぶやきました。

それを聞いた時、彼女たちの諦めを感じて、私の気持ちも張り裂けそうになりました。

そして

「私たち、死ぬのね?」

と映画のセリフのように、東京弁で尋ねられました。

私は、その三人席での立場上、弱気を見せるわけにはいかなかったので、迷わず、

「死ねへん、死ねへん」と言いました。

死ぬと思っていたのに。

大阪弁でした。

大阪弁がいかにこんな場面で似合わない言語かを痛感しました。

涙が流れそうになりましたが、流れませんでした。

「俺はまだ何もしてない」と繰り返し考えていました。

仕事も恋愛も結婚も何もかも、まだ何ひとつしてないのに、ここで死ぬのかと。

ずっと、ずっと、床に投げ捨てたノートとペンのことが気になっていました。

その時にはもう自分は書かないと心を決めていたけれど、

彼女たちに「何か書き残す?」か聞こうかどうか、ずっと心の中で葛藤していたのです。

間違いなく落ちて行っている飛行機の中で、

窓から外の様子を観察しながら、

ずっと葛藤していました。

しかし、「何か書き残す?」と言ってしまえば、最後の希望の灯が消えそうな気がしたので、最終的には言い出さないことに決めました。

ノートとペンをぐっと座席下の奥へ足で押し込みました。

彼女たちのためにも、自分のためにも「死ねへん、死ねへん」を貫くことを決めました。

その後、ずっと窓の外を観察していました。

海に突っ込むのであれば、

せめてその前に「海に突っ込むぞ!」とみんなに大声で知らせようと、

バカみたいですが、本気で思っていたのです。


最初で最後の機長アナウンス「緊急着陸姿勢を取れ」


やがて、窓から見えたのは夜の真っ暗な海の表面ではなく、

窓の左下の一番端のケシ粒ほどの緑の灯りでした。

そして、緑、赤、白と灯りの数が増えていきました。

「ホノルルに帰って来た!」と大声で伝えました。

「海に突っ込むぞ!」と伝える代わりに。

その時、ガサガサっと大きな音がしました。

事故発生からはじめての機内アナウンスでした。

「緊急着陸姿勢を取れ」

「緊急着陸姿勢ってどんな姿勢?」と思いながらも、ブランケットで頭を覆い、前にしゃがみ込むような姿勢をとりました。

それからの時間は実際には数分だったと思うのですが、永遠のように感じました。

歯を食いしばりながら、なぜか自分のことではなく、ここまでこの状態でホノルルまで戻ってきた機長の事を考えていました。

そして全然知らない機長の事を完全に信頼していました。

彼に命を預けようと思っていました。

両脇に消防車と救急車がビッシリ並んだ、

赤と白で縁取りしたような滑走路に、

ドーンと滑るように見事に着陸しました。

歓声なんか上がりませんでした。

みんな静かに泣いていました。

私も目に涙をいっぱい溜めていました。

(つづく)


























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Eito
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