福祉を目指すあなたに贈るぼくの物語2
中学生になった僕がまず入った部活は、ブラスバンド部でした。
音楽をやりたいと思ったのが入部の理由です。
ブラスバンド部に入って僕は、トランペットを教えてもらえることになって、小学生の時から知っている先輩が教えてくれることに。
小中学生のときの僕は、やりたいと思ったことは、とにかくやる!人でした。だから音楽をやりたいと思って、ブラスバンド部に入ったのですが、部に入って数日経ったある日担任の先生に呼び出されて、「岩山、お前は運動部やろ」と言われて、ブラスバンド部に入部して、1週間ほどで退部することになりました。たしかに先生の言う通りで、僕はいつも体を動かすことばかりで音楽とは程遠かったです。
そんなこともあり、僕が次に入部したのは、ラグビー部!
入学当時に創立された部活で、部員は0人でした。
そこで、僕とあと二人の同級生と一緒にラグビー部に入ることになりました。
3人での部活動だったので、特にラグビーらしい練習ができるわけではなかったのですが、ボールを使ってパスをしながら走るだけでめっちゃ楽しかったのを今でも覚えています。
美術を教えている先生(元ラガーマン?)がラグビー部を作ったのですが、毎回練習を見に来れたことはなかったのですが、他にも社会を教えている先生も教えに来てくれたりもう一人いたのですが、担当教科を覚えていませんが新人の先生と少人数の部活ですが、楽しく部活動できていました。
そんな僕のラグビー経験談ですが、これもすぐに終わりを迎えます……
まさかのラグビー部を作った、美術を教えている先生が大学に行って勉強し直すとのことで、教員を退職。
他にもラグビーを教えれる先生はいたのですが、退職したその先生が居ないのならもう続けるのは嫌だなと思いラグビー部を退部するとほかの2人も退部してしまって、ラグビー部は廃部に。
そのあとに入った部は、卓球部でした。
入部した理由は、いつも一緒に公園で野球をして遊んでいた友達が入っていたからです。
そんな僕の中学生生活でも、大人になって今の職に就職して分かったのですが、あの人は発達障害やったんかなと思う同級生がいました。
他の同級生とコミュニケーションの受け答えが違ったりすることがあり、動作や表情も思う部分がありますが、当時の僕は、この人はこういう人なんやとしか思っていませんでした。
だからいつもほかの人と分けることなくみんな同じように接していました。
「とよちゃん!」って声をかけると「なにー?」とたまに授業のことを聞いたり、宿題の範囲を聞いたりもしていました。
そして、僕が福祉という仕事に初めて出会ったのが、中学生の時の職場体験で言った、高齢者施設でした。
中学校から自転車で、数分のところにある施設に見学へと行きました。
はじめは施設の説明を聞きながら見て回って、そのあとに施設長みたいな人の話を聴く時間に。その時の僕は、ポケットに手を突っ込んで聞いていたので、突然施設長が大きな声で怒鳴りました。ポケットに手を突っ込んで話を聴いている僕に対して怒っていました。
それが失礼な態度だということを知らずにやっていて、同行していた先生は必至に謝罪。
そのあとに、実際に施設を利用している高齢者の方々と触れ合うことになったのですが、僕はその時におじいちゃんと一緒に五目並べをすることになりました。
僕は自分の日本のおじいちゃんと関わったことがなく、高校生の時に行った鹿児島でのおじいちゃんのお葬式が僕の記憶の中でのおじいちゃんとの思い出です。おばあちゃんとは、毎年お正月に電話で「お年玉ありがとう」とお話しすることがあったのと、おじいちゃんの葬式の時に入院していたので会いに行くと寝ぐせで髪の毛がソフトクリームみたいな形になっていたのを覚えています。そういうこともあり、おじいちゃんと会話した記憶もなかったので、初めておじいちゃんみたいな人と何かをすることがすごく嬉しかったです。このときに五目並べを一緒にしたおじいちゃんがすごく楽しんでいるのをみて、こうやって喜んでもらえることがあるんやなぁとこの時に初めて福祉の仕事って人に喜んでもらえてめっちゃええやん!となり、これが僕の福祉で働きたいと思ったきっかけになりました。
この時の僕は障害者福祉ではなく、高齢者福祉を目指すことになりました。
そんな僕の高校生では、硬式野球部に入ることになります。
小中と一緒だった仲のいい友達同士で高校生になったらみんな野球部に入ろうなと言っていてみんな違う学校に入学しましたが、それぞれに野球部に入ることに。
といってもみんなどこのチームにも所属していなかったので、初心者での入部です。
こんな僕の高校生はどんなだったのか。
また次回!
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