白紙の地図を埋めたくて、今日も歩いている
高校での海外研修を機に申請した五年パスポートが先月、ただの小冊子になった。
それと同時に、新しく申請した赤色の旅券を取りに行くまで、私は確かに存在するのに身分証明のされない人の形をした何かになってしまった。
何となくどこか遠くのまだ見ぬ世界へ飛び出そうにも、今の私にはそもそもそんな権利がないことを思い起こす。
SNSに流れてくる航空券のセール情報も、ありふれた広告になって手のひらから滑り落ちた。
人々の日常の渦に取り込まれて、すっかり見えなくなってから、ふと思い当たって思考を巡らせる。
旅は別に飛行機に乗らなきゃ始まらないわけではない。
そもそも列車に乗る必要もないし、車もいらない。
想像もつかないほどのどこか遠くに行く必要もきっとなくて、家出出来そうな程の大荷物は玄関に置き忘れてくるくらいがちょうどいい。
自分の生きる世界とは完全に一線を画す土地に踏み込むことが、魅力的なことは百も承知だ。
何せ、普段慌てて掻き込むだけの朝食でさえ、昼下がりに立ち寄るカフェで過ごす時間と同等のものに早変わりしてしまう。普段なら通り過ぎるだけの街並み一つ一つが、ここでならポストカードサイズに切り取られて街角で売られていたような気さえする。
今はまだ日本で生きるという選択肢を取っていたい私には、この世界は現実でありながら、やがて線香花火のように静かに火を落とすさめやらぬ夢のようなのだ。
そして、その並行世界にいつまでもいるわけにはいかなかった。
生きる世界の未知を既知に変えることもまた旅には違いなくて、なんだか今ある地図はどうにも白紙が目立つらしい。
地図を読むのはあまり得意じゃないけれど、多分ちょっとは見る癖もつけた方が良いのかもな。
首にはカメラ。履き慣れたスニーカーをつっかけて、いつも真っ直ぐ通り過ぎるだけの道を今日は右に曲がる。
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