死なないで、なんて傲慢だ

死にたいと言った友達がいた。
私は本当に大切な友人だと思っているし、死んで欲しくはなかった。
友人は幸いにも今も生き続けていてくれているが、かつて生きて欲しいと言ったら友人は無責任だと怒った。

私は死ぬことについて考えるほどつらかった時、生きていて欲しいというただそれだけの言葉を存在理由の欠片として受け取るほどには、他者に評価も価値も委ねていた。だから「死にたい」という言葉を口にする友人たちにはいつだって生きて欲しいと願い続けているし、機会があれば口に出して伝えた。

それは必ずしも正解じゃなかった。
生きていて欲しいなんてたった8文字で、その台詞を伝える時間からは比にならないほどの孤独で苦しい時間を生きる「死にたい」人たちを縛り付けるのは、彼らに死んで欲しくない私たちのエゴでしかないのだ。この明確な終わりの見えない生き地獄に死にたい彼らを突き落としながら、あぁ死なずに今日も生きてくれてありがとうなんて、睨むだけでは足らないほど酷な話だ。

生きていればいいことがある。
そりゃあなたはそうかもしれないが。

この何億といる人間の全てが生きている間にいいことが「絶対に」あるなんて、どうすれば言い切れるのか。

絶対なんてこの世には存在するかも分からないのに。

ポジティブな感情を根っこから全て引き抜かれて、もう再生が不可能な状態にされた人間がいないなんて、どうしてそんな簡単に言ってのけてしまえるのか。

生きていて欲しいなら生きていたいと思える世界片手に颯爽と現れて欲しいよな。

わたしと一緒に生きて欲しいなんて、差し出された手握り返して幸せのために駆け落ちしたいよな。

生憎私はサンタでもマジシャンでも救世主でもないからこの世から逃げ出したい誰かを連れ戻すことなんて出来ないんだけど。そうして私も同じようにそんなスーパーヒーローには出会えない。

そりゃそうだ、世の中そんなに甘くない。

人の命もうひとつ一生守り続けるなんて、きっととんでもなく大変だ。守り続けることなんて出来ないくせに死なないでくれなんて簡単に言う。私もぽろりと口にしてしまう。

だって、そう口にしてしまいたくなるほど大切なんだ。だけど人生を背負えない。よわいんだ。

そうだよ、私は死にたいという人たちに死んで欲しくはないわがままで無責任な奴なんだよ。わがままだと分かっていながら、ああ、なんでこんな薄っぺらい言葉にしてしまうんだろうな。

まだ答えが見つけられなくて、救い方も分からなくて、今日もSNSで生存確認しかできないんだ。

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