自由人
先日、石川県に行く機会があった。
少し時間ができたので、足を伸ばし山代温泉まで車を走らせた。
小さな温泉街だが、温泉街らしく整備されていて雰囲気が良い。
浴衣姿の女性が共同浴場に向かっている。
カランカランと下駄の音が心地いい。
この地は、北大路魯山人が一時滞在した場所である。
北大路魯山人
1883年(明治16年)生まれ。京都府上賀茂村に生まれる。
彼は、料理家、陶芸家、書道家などの顔を持つ。
↓いろは草庵
アニメ「美味しんぼ」の海原雄山のモデルにもなったとされる人物である。
そのアニメのストーリーでは、常に料理の美味しさ、美しさを追求する「海原雄山」とその息子「山岡士郎」との料理対決がとても面白い。
自分も料理が好きなので、参考にしている。
美食家になったつもりで・・・
私が好きなアニメの一つである。
実写版では、山岡士郎とコンビである栗田ゆう子役の「優香」のファンである。
どうでもいい話ではあるが・・・
アニメ中の「海原雄山」は、人の意見には耳を貸さず、我が道を突き進む偏屈な美食家老人のキャラクターである。
どんな相手に対しても、遠慮することなく言いたいことを言い、妥協することをを許さない人物である。毒舌であり人からは嫌われるタイプである。それでも平然といられる。
しかし、料理をはじめ彼の作品である器や書画など芸術作品としては一流とされている設定である。
北大路魯山人の話に戻るが、彼はどうであったか。
彼は、貧しい家庭に生まれた。
生後まもなく養子に出され、その後も幾度か養子に出されている。
9歳でご飯を炊き始めたらしいが、その頃からもすでに食べ物にはやかましく、目利きができたらしい。
すでに美食家であったようである。
9歳にして嫌な子供である。
こんな子供と一緒に飯を食っていたらとても面倒に思う。
しかし、美食家・料理家になるつもりでいた訳では無かった。
普段の生活の中で、どうしたら上手く料理できるか、美しく見えるか、そして喜んでもらえるかを身につけたのだと思う。
常に美しさを追求し妥協を許さない。
その料理に相応しい器、花や書画までも自ら製作する多才な人物である。
決して独りよがりで押しつけの料理を作っていたのではない。
意外と調理方法には幅広く、食し方は自由にと料理を作っていたようである。
そして食材の旨さを最大に引き出し、それを客人にもてなしていた。
彼は、大変おもてなし精神が旺盛な人だったに違いないと勝手に想像している。
しかし、押し付けのおもてなしであってはいけない。
また、美味すぎる料理は好まなかったらしい。
手間をかけ過ぎた料理は、最上の美食ではないとのこと。
たまにテレビ番組を見ていると、食レポで「美味しすぎる〜」とコメントをしているレポータがいるが、何か違和感を感じていた。
「美味しい」を通り過ぎると、その先はなんだ?
「それって、口に合わないってこと?」
「美味しい」の最上級のつもりで行っているのだと思うがおかしな表現だ。
テレビを見ていると、時々ツッコミを入れたくなる自分がいる。
また魯山人は、人格に問題があった。
各界の著名人を罵倒、有名店の料理では口に合わないと悪評、結婚も6度など、かなり気難しい人物であったらしい。
どんな相手に対しても遠慮なく言いたいことを言い、妥協することは許さない、自らの信念に基づいて、経験を信じてこだわっていく。
まさにアニメに出てくる海原雄山である。
いや、海原雄山以上に傍若無人であったのではないか・・・
魯山人は、料理のみならず、陶芸家でもあり、書道家でもある。
妥協を許さず、信念と経験で誰もが認める芸術作品を生み出してきた。
決して与えられたものから生み出されたものではない。
自ら自由な発想に基づき芸術作品が生まれてくる。
魯山人曰く
「個性だとか、想像だとか、口で言うのはやすいことだが、現実に表現が物をいうようなことは、なまやさしい作業でなし得られるものではない。さあ自由なものを作って見ろと解放されたとしても、決して自由はできないものである。」
逆の発想になるが、こだわるからこそ、そこから自由な発想が生まれるのではないだろうか・・・
現代社会において、我々はどこまで自由な発想をしているのだろうか?
自由に想像したと言ったところで、自ら経験しあるいは見た範囲内でしか想像ができない。
自由に好きなもの食べていいと言ったところで、誰かに提供されたものを食す。
魯山人はそれを「家畜同様」と言っている。
さらに「自由の精神を失っている」とも言っている。
言われてみればそうかもしれないが、
こういう言い方するから敵も多かったんだろうなあと想像する・・・
いつも一言も二言も多かったんだろう。
しかし、話の内容は確かにその通りである。
人は「自由」と言いながら、与えられた物の範囲内で想像し行動している。
本当に現代人にどこまで自由な発想と行動ができるのだろうか?
縄文土器を作った縄文人の方がはるかに想像力があったに違いない。
何せ見た事が無いものを想像して作り出したのだから。
前例を踏襲せず、0から生み出す自由な想像力が必要である。
現代社会は、飼い慣らされた家畜同様である。
自分は、自由奔放な野獣になれるのだろうか・・・
↑山代温泉にある共同浴場
なぜ、北大路魯山人をテーマにしたのか・・・
山代温泉にたどり着いたからではない。
先月、尊敬する方が亡くなった。
享年78歳。
以前から病気療養されていたので想定はしていた。
その方とは、10年くらいの付き合いをさせていただいた。
あるボランティア団体の代表を務められており、私もたまにお手伝いに行かせて頂いた。なかなかアクの強い方であったが、私に対しては優しく接して頂いていた。
ゴルフが上手く、若い頃の遊びの話も聞かせて頂いた。自称「モテ男」?だったようである。
以前は経済ジャーナリストの仕事をされており、経済界では名の知れている方であった。
いろんな会社の社歴や地域経済、社長の人格などよく話をして頂いた。
ジャーナリストとして、彼よりさらに年配で、戦前戦後を生き抜いてきた方々と議論を交わし、ぶつかりあった事だろう。
何せ、生きるか死ぬかの人生経験をした方々である。理想論ではなく今をどう生き抜くかの議論を積み重ねてきたのである。ぬるま湯に浸かっているような話では失礼に当たる。
お会いしてからも彼の話は常に真剣だった。
真剣だからこそ、生ぬるい話をすると怒られる・・・
その時代に学んだ生き方であると思う。
その彼と魯山人が少し重ね合う部分があったので面白いと思ったところである。魯山人ほどではないが、特に食へのこだわりが強かった。
どこかレストランに食べに行くにしても、食材の切り方、焼き方、調味料の指示まで店に頼む込む。
要求したものが出てこないと叱り飛ばす。
店主と喧嘩して出て行ったこともあるようだ。
彼と一緒に飲食店に行こうとすると、皆緊張が走る。(今日は何事も起こらないでくれと・・・)
彼は彼なりに一番うまい料理の仕方で我々をもてなしたいと考えていたのだと思う。
私個人的には、「いや、これは違う」と思いながらも、黙って食べていたが・・・
また、自らカメラマンでもあり、ボランティア団体の活動写真を撮ってポスターにしていた。ポスターはその団体の歴史であると考えており、イベントの時にはポスターを貼る位置にもこだわり、大事に張り付けていたのである。
数多いポスターは、その団体の歴史である。
近年、私の周りでこんなにアクの強い人物、個性的な人物はなかなかいない。
こんな彼ではあるが、今のこのボランティア団体が存在するのもその彼がいたからであるし、その彼に付いて来ている人たちもまたいるのである。
もちろん、離れていった人たちもいるが、多くは、彼を慕ってまた賛同し今の団体を手伝っている。
彼にはブレがない。
信念があるから安心して付いて行ける。
一度だけ理不尽な叱られ方をされたことがある。
いつもボランティア作業が一段落すると、彼、大先輩であり友人でもある70歳代のおじさんM氏、そして自分3人で風呂に入るのだが、彼が来ないので先に2人で風呂に入って待っていた。すると彼が入ってきて、「何風呂に入ってんだ!俺の鍵がないんだよ!」とM氏と私は裸のまま突っ立て叱られたことがある。意味がわからず、素裸のおっさん2人はただ頭を下げるのみである。
小学生のときに廊下に立たされたことはあったが、裸で叱られたことはない。
屈辱的な姿である。
結局、鍵は彼のポケットから出てきた・・・(なんかゴニョゴニョ言ってたな・・・)
私は見てしまったが、知らないふりをする。
お茶目な人である。
なかなか、現代社会には受け入れてもらえない考えをもった世代の人かもしれないが、人間味が溢れている。
アクも味のうちである。
美味すぎる料理は、美食ではない。
彼のお名前や団体名を出そうか出そまいか迷っていたが、彼に敬意を表するために公表したいと思う。
NPO法人日本障害者ゴルフ協会 代表 佐藤成定
http://dga-japan.com/
もっと、もっとお話を伺いたかった。
ご冥福をお祈りします。
参考 魯山人の真髄(河出文庫)一部抜粋
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