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いたずらレール と フケ(家出)る癖                                                          

ダレかさんとナニカさんの花畑〈No.005〉


両刃の剣(ウィキペディアより)

錆びクギが転瞬ピッカピカ剣に変身

 ぼくが生まれ育った家からは、国鉄(JR)南武線の線路が近かった。
 そろそろ「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」遊びにも飽き、女の子は「縄跳び」に、男の子は「三角ベース」野球へと脱皮をはじめる頃(注1)。
「危ないからね」「線路で遊ぶんじゃないよ」と、ことあるごとに言われるほどの魅力の輝きがレールにはあり。風を巻いて走る電車(東京近郊の南武線は始めから電車線だったが、貨物にはまだ蒸気が活躍、共存していた)からは〈新しい時代〉の息吹が匂った。
(子どもたちにとっては玩具に恵まれない時代でもあった…)

 ある日の「三角ベース」広っぱで、ガキ大将がピッカピカの剣みたいなものを見せびらかして、〈いたずらレール〉の成果を自慢する。それをひと目見たボクは、端午の節句(5月)飾りの「鍾馗しょうきさん」人形がもってるのと同じだ…と素直にカンドーした。
「線路の上にクギを真っ直ぐに置いとく、電車が来てかれると…跳ね飛ばされてコレになるんダぜ、すぐ触っちゃダメだ火傷やけどすっからな」。タネを明かせば瞬時の圧延マジック…
〈いたずらレール〉はリッパな犯罪だった(並べ置かれた石ころが原因で列車が脱線・転覆する重大事故の報告事例も実際にあった)けれども。子どもには誘惑でしかなく、ひとつマチガえば死にも直面しかねない。

鉄クギ(ウィキペディア)

  こんな㋖な遊びが、しかし…長くつづくことはなかった。
 それは子どもたちが、電車にかれる怖ろしさを認識するよりも前に、遥かにショッキングな衝撃をうけることになったからだった。
 2~3人で小グループになった子たちが、行き来する電車の合間を縫って古クギを置き、侵入防止柵のある草むらに身をひそめる。
 この防護柵、戦後すぐの頃は枕木を立て並べた間にバラ線(茨線=有刺鉄線)を張り渡したもの。子どもたちはこれを押し広げて潜り抜け、大人たちは押し下げ跨いで通り抜けた。

 釘は俗に「5寸釘」と呼ばれ…1寸が3㎝だから長さ15㎝のものを指すのだが、ふつうには長さ半分くらいのものまでひっくるめて「大クギ」を意味した。いずれにしても、ふだんの家庭では出番の少ない釘だったけれども、なぜか戦後すぐの荒廃した時代…どこの家のクギ箱にもあり、工場の焼け跡に行けば錆び釘がいくらでも拾えた。

 このデカ釘が、走ってくる電車の鋼鉄の車輪に轢かれ、「ビンッ」とばかりに唸って弾き飛ばされる。その凄まじいばかりの勢いで…レールの間に落下するか、それとも跳ね飛ばされるか…
 レールにもわずかな丸みがあることも手伝って、うっかりすると思いがけない方角にスッ飛んできたりする。それが一度、きわどい頭上を掠めたときには一瞬、目が眩んだこともあったりして……
 そのゾッと背筋が冷たくなった恐怖感にはマジに怖気づきましてね。それっきり〈いたずらレール〉には懲りて、ヤメちゃいました。

蒸気機関車と操車場 

蒸気機関車(D51)

 そのあと、ぼくの身に出現した家出る癖(…といっても本人に家出の自覚なんかテンでなかった)については、自分でもよくワカラないというのが正直な感想。ですから(わがまま…)ってことしておくほかないのデス。
 ただ、その心底に潜んでいたのが(淋しさ…)だったのは確かなことで、幼い頭にはカイケツがつかない。そして…
 そんな窮地からレスキューしてくれたのも鉄道であり、レールでした。

 いつの時代も子どもたちに人気の「のりもの」ですが、まだ自動車時代にはほど遠いその頃、選択の余地は歩きか  やっと自転車か、くらい。
 先ほどもお話したとおり、初めから電化区間として開通した南武線でしたけれども、京浜工業地帯の一郭をなすこの地域には、本線から工場への〈引込線〉も多く、貨物輸送に活躍していたのは蒸気機関車で、専用の給水・給炭所なんかも備わってた。
 ぼくら子どもたちは、迫力満点の蒸気機関車の運転手に憧れ(学生帽のヒモを顎にまわしてカッコつけ)て、その機関車に外乗り誘導する操車係のキビキビとした緑と赤の旗のうごきに目を奪われてました。

「どこゆき」遊びで知った「フケる」誘惑

 その頃、学校の新学期から新しい友だちになった転校生によって、新しい遊びにフッと  つよく魅きこまれました。
 遊びそのものは前からあった「どこゆき」。それぞれが地面に描かれた円に向かった石を投げ、いくつかに仕切られた枠内にロウセキ(蝋石=白色の石筆)書きで指示された場所へ、行って戻ってくる…わけなんですが。
 ルールが意表を衝く胸さわがせなもの。円の中心近くにもうひとつ小さな円があって「?」とある。つまり「どこゆき?」の意味。ここに石が入った子は〈行く先が指示されない〉かわりに、どこへ行っててもいいから皆んなの〈最後に帰ってくる〉のがキマリ。
「どこへフケててもかまわない…サイコーのご褒美だぜ」その子が言う。

 子どもは、ときに遊びの天才であり、ついでに残酷でもある。
 ぼくは(円の中心に石が入ったらどうしよう…)と念じて石を放るのだが、ついに入ったためし・・・がなく、ほかの子も滅多には入らず、ごくたま・・に入ってしまった子があると…なぜか、そのまま  ほんとにフケてしまう(たいがい家に帰ってた)のだった(注2)。
 それからというもの…

 根っからの淋しがり屋のクセに、フケる(逃げる、姿をくらます)ことに憧れを抱いたボク。ナニかあって𠮟られ、ナットクがいかなかったり(おまけにお寝しょ・・・癖のひがみ・・・も加わり)すると、プイとふて・・腐れて姿をくらますことを覚え。
 …といったところで、永く出奔するほどの意地はなく。とっぷりと日が暮れるまでの時をかせいでからソッと帰り、庭の隅などに潜んで…気配を察した母さんから「入りなさい」と声がかかるのを待つ(吾ながらホント嫌なガキだった)のでした。
 そういうときの行く先は、きまって引込線かたわらの草むら。そこで哀しみに耐えるか、蒸機から反抗気分の元気をもらうの。

操車場は夢の旅世界

操車場(ウィキペディア)

 そこからパッと…
 思いがけない未知の新世界が開けた  きっかけはお稽古ごと。
 この国の戦後社会を途惑とまどわせたアメリカさんのミンシュ主義でしたけれども、中流家庭のお稽古ごとにピアノやヴァイオリンはまだ早くて、|珠算(しゅざん=そろばん)と習字(毛筆・書道)が主流。
 2つ上の姉さんと一緒にお習字を習いに行かされた、その先生の住まいが新鶴見操車場のすぐそばで。子どもにはちょっと遠いお出かけでしたが…それが  近隣のダレにも知られる心配のない秘密めいた処だったことから。
 おあつらえ向きの、フケ(家出)まねごと・・・・の逃避場になってくれたのでした。

 …でも、はじめて家をとびだして操車場へと走った夕暮れ時は、もう心臓バクバク。お稽古の行き帰りに見ていた昼間のそこは、ただスケールがでかいばかりに思えていたからでしたが。
 冒険はむくわれました、感動的に!
 ポツン・ポツンと心細く街灯のともる道を、追われるように歩いて行った先。そこで遭遇した操車場の圧倒的な光と音の交響、煌々喧騒こうこうけんそうたる世界にボクは吾をわすれ、憂さなんぞ跡形もなく消し飛びましたっけ。
 いまもあるそこは、京浜東北線・鶴見-品川間の西側を走る横須賀線のルート。戦後復興拠点のひとつであった当時は、東海道筋からの物流を主に捌き振り分ける貨物専用の一大操車フィールド、そのためのレール群が煌めきひしめく不夜城。

 2つの大きな跨線橋こせんきょうに挟まれる間、ほぼ中央あたりに築かれたマウンド上の大転車台が主役で、その周りにひしめく線路群を従え、そこへ蒸気がボゥッと煙を噴いて上がり下がりする…そのたびに貨車の群れが行く先の方向別グループに振り分けられていく。近所の引込線ですでにお馴染みになっていた緑と赤の旗が、暗くなった操車場ではカンテラの灯りに替わって左右に揺れて導き、蒸気の汽笛がこれに応え…。
 北へ、南へ、一連に仕立てあげられ旅立って行く貨物列車もある。

 いっぱしの家出気どりで来たガキんちょは、長い跨線橋の手すりに凭れ、しばらくは茫然と不夜城の光景に見惚れ…やがて涙は頬に滂沱と流れ…霞む 視界を旅立って行く列車のテールランプが揺れ…消えていく。
 どこへ行くのか…は知れない。知るには乗るしかない。

 そうしてボクは、煙に咽せつつ立ちあがり(いまは何処へ行くあてもないのだけれど)気もちだけはシッカリとり直して、家路についたのでした…。


(注1)三角ベース(野球)…広いスペースがない空き地などでも野球が楽
    しめるように工夫された遊び。それぞれの事情に応じていろいろな
    ルールが考案されたようなのだが…ぼくたち川崎っ子の場合はシン
    プルに2塁ベースがなく、ついでに一塁線と三塁線の間も直角よ
    り狭くてかまわなかった。すべては広っぱに確保できる範囲で、少
    人数でも遊べるように。ゴムボールを打ち返すバットは竹の棒だか
    らグラブも要らない。それでも大きな子が快心のあたりをすると、 
    近隣の家の窓を直撃したりして叱られた。
(注2)いま「しんどい」立場にある子は「かくれる」こと…ほんとは親も
    一緒に逃げてくれるのが一番なんですが。さもなければ、まずはフ
    ケ(逃げる、姿をくらます)てみること。いまは、ウエブサイトに
    「かくれてしまえばいいのです」(自殺防止対策にとりくむNPO
    法人「ライフリング」の開設)があります。



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