If you can dream you can do it !〜願えば叶う〜
If you can dream you can do it !
〜願えば叶う〜
これは僕が1番大好きな言葉です。
どこからの言葉かと言うと、僕が1番影響受けて、初心に帰るときに必ず読む漫画の中での名言です。
それは何かと言うと…
『ホイッスル』
小学生の頃サンタさんが僕にプレゼントしてくれたサッカー漫画です!
ざっとあらすじを話すと、主人公(風祭将)は名門武蔵野森に入りながらも、背が小さいからという理由でサッカーすらさせてもらえないという挫折を味わう。
その頃に一緒に頑張ってきた友人とある日喧嘩別れをしてしまう。
それは主人公がサッカーをしたいから別の中学へ行くということを話したから。
そして時が経ち元いた中学と戦うことに。
その時に主人公が頑張ってる姿を見て喧嘩別れした友人はハーフタイムに居ても立っても居られなくなり、主人公のレガースにこの言葉を贈ったんですね。
いやー胸熱のシーン!!
って言っても伝わらないと思いますが。笑
この後、点を取り惜しいところまで名門を追い込むのですがあと少し足りず負けてしまいます。
でも背が低くて、めちゃくちゃ下手だった主人公が成長していく姿は当時の自分が映って見えたんですね。
本当に偶然なんですけど…
風祭将 浅川隼人
誕生日 5/10 5/10
血液型 A A
身長 146㎝ 146㎝
(中1の風祭将と小6冬の浅川隼人)
こんな似てることある??
って思いましたよ笑笑
(これが作者とやりとりしたツイッター。これは流石に痺れた!!)
いつの日か自分のイラストを描いてもらいたいと心から思っています!
しまった…
またまた冒頭から長くなった…
(まだまだホイッスルの話がしたりないのですが、それはまた今度ちゃんと書くことにします。)
今日はなにを書くかと言いますと…
僕とサッカーの出会い。
本当はいっぺんに書きたいんですけど、長すぎたらみんな飽きちゃうでしょ。笑
すでにここまでで6割の人は飽きてますよね。
大丈夫ここからですから面白いのは!
ってなわけで大口を叩く悪い癖が出てしまったんですが。笑
本題はここからなので、僕の物語を読んでください。
体が小さかった。
体の線が細かった。
下手くそで、隣の芝が青く見えるばかり。
それでもプロになった。
挫折ばかりの人生でも、底辺からのスタートでも、諦めずにやり続けた。
願えば叶う
これを胸に刻み込み進んできた浅川隼人の人生のルーツをみなさんにお届けしたいと思う。
そして、
夢を諦めかけてる人。
自分には無理だと思い込んでる人。
あいつには追いつけないと思ってる人。
大人も子供も頑張ろうって思えるような文章にしていきたいと思いますので、どうぞ最後までお付き合いください。
まずは3歳の頃。
幼稚園の年少でサッカーに出会う。
サッカー選手あるあるで兄の影響でとかあると思うんですけど、僕の場合は長男なのでそうじゃなかった。
仲の良かった友達がやってるからと幼稚園でやってた『Jacpaスポーツクラブ』でサッカーを始めました!
まぁ幼稚園なんてお遊びで、遊具で遊んじゃう子もいるし、言うこと聞かないしで大変だったと思うんですよ。
でもその当時の先生が
『ドライブシュート』
とかわけのわからないシュートし出すから…
(当時キャプテン翼でドライブシュートというシュートがあって要は落ちるシュート。こんな感じです。)
なんじゃそれやってみてー!!!
なんて子供ながら思って必死にどうやったらできるのかをやってましたよ笑笑
当時の先生はどうやったら子供たちに興味を持ってもらえるか、また探究心をくすぐるということがすごく上手かった先生だったと思います。
まぁただ、始めたばかりの僕よりも友達の方がはるかに上手かった。
ドリブルは下手だし、シュート力もない。
でも初めての習い事だったし、自分でやりたいって言ったことだったから楽しかったんだと思う。
そんな3年間を過ごして、年長さんになった頃、地域のJacpaスポーツクラブが集まってやる試合でたまたま優勝してしまったんですよね笑
(これが優勝した時の僕(右)と森下先生)
うまかった友達に助けられながら、個人じゃ絶対達成できない優勝を勝ち取った。
この時に初めて、
勝つことの嬉しさ。
チームスポーツの良さ。
を感じました。
そしてそこから小学生になり、そのままの流れで小学校のクラブ『千葉アミカルSC』に入りました。
これまた小学生に入るとみんな上手いのなんの。
全然通用しなかったのを覚えています。汗
でもそこで別にサッカーを辞めたいとはならなかった。
だって上手くなることが目的じゃないし、サッカー選手になりたいとも思ってないし、楽しいからやってるだけなんだもん。
そんな中である1つのことが起きます。
2002年の小学2年生の頃。
忘れもしない日。
サッカー小僧浅川隼人の誕生。
なんでお遊びでやってるサッカーからサッカー選手を目指すようになったのか。
それは…
2002年のキリンカップ
vsホンジュラス
中村俊輔選手のコーナーキックから直接ゴール
その瞬間。
鳥肌が立ち、サッカー選手になりたいと思った。
ボールってあんなに曲がるんだ。
コーナーキックって普通中に合わせるやつじゃないの。
目の前で起こったあり得ないと思っていた光景に、釘付けになった。
僕もあそこでプレーしたい。
あんなゴールを決めたい。
あのゴールがなかったら今の浅川隼人はいません。
その時に、
あのゴールでいくらとか勝ったから勝利給いくらとか思ったのではありません。
僕も中村俊輔選手から夢をもらったように子供たちに夢を与えられる選手になる。
これが僕の夢の原点です。
だから別にお金持ちになりたいわけじゃないし、極論サッカーでお金をもらわなくてもいい。
僕をみて夢や希望をもらったり、頑張ろうって思ったりしてくれることが僕にとって1番かけがえのない財産なのです。
1人でもいい、そう思ってくれる人が出てきたら僕は幸せです。
まぁこんなに具体化できたのは大学に入ってからなので、また話を元に戻しますと…
あの日からサッカーに対する全てが変わりました。
そしてサッカーの虜になりました。
あの日以来、学校から帰ってきたら毎日家の前の駐車場で左足とカーブの練習をしました。
今僕が右足よりも左足の方がコントロールが良いのは多分この頃左足しか練習してなかったからだと思います!
ここから少しずつ周りの子供達と対等にやりあえるようになっていきました。
家に帰ってから1人で、
どうやったらカーブが出来るのか。
どうやったら上手くなるのか。
どうやったら点を決められるか。
毎日毎日試行錯誤しながら必死に練習していました。
この頃は他の周りのどの子よりもサッカーボールを蹴っていた気がします。
どんなに才能がなくても、僕には1つだけ人よりも少しだけ長けていた部分があった。
それは、
人よりもほんの少しだけ頑張ることができること。
ほんの少しだけでいいんです。
1日に1本でも1回でも多くやろうとする力が僕にはありました。
塵も積もれば山となると言いますが、本当にそうだと思います。
1年頑張り続けることって難しいんですよ。
でも1日の中で人よりも1歩だけ多くという事だけを意識すればいいだけのこと。
そうやって僕は生きてます。
そうしていけば必ずチャンスが訪れます。
願えば叶う
これにはこの言葉がその中身なのではないのかなと思っています。
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
どんな人でも人生は変えられます。
夢だって見られます。
だからこそ、もし今最後まで読んでくれているのであれば、1日の中で人よりも1歩だけ多く歩むようにしてください。
そうして夢を叶えましょう!!
そんな感じで今日のnoteは閉めさせて頂きます。
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
そして次回は…
『第1の挫折』
また次回をお楽しみに!!
バイバイ!
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