眠れない夜に、少しだけ解けた呪いのこと
今日は早く起きて、掃除と洗濯をして、クッキーを焼いて、明るいうちに外で運動したし、美味しいものを食べて、友達とお喋りした。仕事だってほとんどしなかった。さぞかしよく眠れるだろうとわくわくしてベッドにはいったのに、すっかり目が冴えて寝つけない。
悶々とすること3時間超、朝チュンがきこえて時計をみると午前5時すぎ。普段ならもっとはやくに寝るのを諦めて、シャワーを浴びたり、朝する予定だった仕事をかたづけちゃったりするんだけど、今日はなまじっか寝つきに自信があっただけに往生際わるくねばってしまった。いまさら仕事をするほど気力もなくて、こないだまとめ買いした山本文緒の本を一冊ひらく。
山本文緒『そして私は一人になった』(幻冬舎文庫)
20年以上前のエッセイ。結婚と離婚を経た著者の、人生はじめての一人暮らしに端を発する1年間の日記群。ページを繰って5分と経たないうちに、一人でいることのかけがえのなさと寂しさ(これも同じくかけがえがない)があまりにも素直にそこに置いてあることに打ちのめされた。これを今、寝ることを諦めてぼんやり明るい部屋にいる一人きりの夜、どうしても読み切らなければいけない気持ちにかられて、そうして今に至る。こう書くと大仰に聞こえるけれど、実情は単純かつエゴイスティックで、数ページ目からもう自分のことばかり考えてしまって、考えきらずにはいられなかっただけなんだと思う。
開始早々16ページ、一人分も二人分も手間は変わらないなんてそんなことはないという話で既に、自分の抱えていたもやもやが再燃大炎上してうめいていた。ちょっと前、数人で雑談していた時のこと。いつのまに話題は将来設計や家事育児のことになっていて、少し年上の人がみんなに、普段自炊をしているか聞いた。なるべく黙っていたかったんだけど、順番がまわってきたので「自分の分だけなので適当につくったりつくらなかったり」と言ったあとにかけられた言葉を、場の空気ごと、まだ忘れられないでいる。「今は良くても、いつか誰かと住んだら、一人分だけってわけにもいかなくなるでしょう」
悪気がまったくない言葉だったこともわかっているし、真意もわかる。スーパーのお買い得食材は、ひとりで使い切るにはなかなか頭をつかうサイズだし、作りすぎて食べ過ぎちゃうことも多い。でも一人分の手間が1、二人分の手間が1.5でも(なんなら1.1だとしても)2馬力で割らなかったら、一人の手間はぜったいに増えているのに。「一人」には、メニューや品数や時間の忖度もない。実家でも家族の感想が気になって緊張してしまって、料理は好きなのに、人のために作るのは苦手だった。こんな私がいるのに、「わけにもいかない」はちょっとした呪いみたいで、周囲の「確かに」という反応に気圧されて一日おちこんでいた。そんなことを思い出しながら、うめき読みすすめる私に文緒さんは書く。
悪いのはいっしょに暮していた人ではなくて、一人分も二人分も手間は変わらないなんて格好つけた私なのだ。押しつけがましく人の好きなものばかり作らず、自分の好きなものを作って食べればよかったのだ。掃除だって洗濯だって、がんがん文句を言ってやってもらえばよかったのだ。
でも、私は人に文句を言うのが嫌いだ。すごく悲しい気持ちになる。文句なんか言わずに暮らしていきたい。そのためにも、一人はいい。
文句を言って、願望をすりあわせるのはほんとうに疲れるし、だいたい悲しい。利己的願望と、すりあわせによる疲労のバランスは、およそ万事に対して気難しい自負がある私にとって、いつもすごく難しい。自分には厳しく接することも、めためたに甘やかすことも自在にできるけど、そこの塩梅を人にうまいことやってもらうのは無理があるから困る。どうすれば良いのか答えは当然のようにないけど、格好をつけちゃだめなことは骨身にしみた。だから一人がいいんだ、と私も言うかどうかは、また別の問題として。
他にもいっぱい考えることがあったけど、ようやく眠気がきて、まぶたが重たい。1時間後には打ち合わせがはじまるのは悪夢みたいな話だけど、でもたぶん後悔はあんまりしないと思う。(たぶんとあんまりでダブルに保険をかけちゃうくらいには自信が無いけど)後悔したとしても、どうしても読み切りたい本があったからそうした自分のことを褒めてあげたい。夜中に眠れないとき、少なくともその瞬間は誰かに心配されずに起きていられる環境を賄えている自分を好きになりたくて泣いたけど、泣いたってひとりなんだから、ちゃんと大人ってことにしてほしい。家中の電気をつけて、Amazonから届いたばっかりのちょっと良いタオルケットにくるまって、お菓子と梅酒ソーダを横に本を読んで、眠れない夜に開きなおれる自由が好きだ。
小学生の頃、とにかく活字が読みたくて気がくるっていた時期に、母の本棚から引っこ抜いた『眠れるラプンツェル』を読んでから、ずっとずっと好きでいた山本文緒。そんな彼女の、しかも結婚と離婚を経た言葉の重みはなかなかだったけど、でも本当はずっとわかっていた気がする。
一人で快適に生きているということはとても素敵で、自由で、尊ばれるべきことで、けれど時々、ぽっかり地獄の底をのぞきこんだように暗い穴が、存在感を増す夜や朝がある。その穴を埋めるのはどこの誰でもない。友達にLINEをしても、好きな人と電話をしても、そしてたぶん結婚して一緒の布団で眠っても、穴は相変わらず黒々とそこにある。一番怖いのは、その穴を誰かで埋めようとして、ともすれば埋められた気になること。土をかけられて息ができなくなっている、自分や大切な人の声が聞こえなくなること。素敵だったはずの「一人」が、忌むべきものになってしまうこと。それが私にはなにより怖くて、こんな一人きりの、業にまみれた朝を大切にする。
何でもできるし、どこへでも行ける。
そう思うとめちゃくちゃ嬉しかった。
私たちは死ぬまで一人で、今までもこれからもずっと、一人じゃない。