小学生の頃の悔しい記憶
ある日、私の通う小学校で給食費の盗難被害があった。小学生の時のことなのではっきり覚えていないところもあるが、私が疑われて担任の女の教師に裏庭に呼び出されこう言われた。
「本当のことを言って!」
「給食費盗ったんでしょ。」そのことだけは脳裏に鮮明に焼き付いている。
いや、もう何十年も昔のことなので、思い違いで大袈裟に作り変えてしまったのかもしれない。
「私は疑われる」
私はなぜかその感情が強く心の中に残っている。子供ながらにそう思っていたのを忘れない。
それには理由がある。ずっと気にしていたことがあった。
給食費を私の家は払っていないのではないか。私が学校に給食費の袋をもって行った記憶がない。
親が学校に持って行っていたのか。
自営業だったので、期日にお金が入らないことがあったのだろうか。
今となっては両親ともあの世に行ってしまったので知りようもない。
まだ生きていて聞いたとしても、母親はおそらく言わないであろう。
父親は無関心で本当に知らないから「知らない」というだろう。
その頃家に電話がなく、下請けの職人たちが毎日のように我が家に集まって打ち合わせをしていたことからすると、本当にお金に困窮していたのかもしれない。
父親は、お金はいつでもいくらでもあるものだと思っていた。出ていくお金のことをまったく考えていなかった。
母親はそれを陰で調整していたのだ。
そういうところから、この2人は支え合っているようで、遠くいつまで経っても理解し合えない夫婦になってしまったのだと思う。
私は本当にその給食費を盗んでなどいないので、ただ正直に「盗っていないです」を貫いた。
「今すぐに盗ったと言ったら警察には言わない」と言われたが、盗っていないものはいないのでそう貫いた。
その後、その担任から何か言ってくることはなかった記憶がある。給食費がどうなったのかも知らない。知りたいとも思っていなかった。
ただ、今でもその担任の名前も顔もハッキリ覚えている。
最近何十年ぶりかで押し入れを整理していた時、小学校のアルバムを見つけた。
まず同級生を見て、見たくないけど担任を見た。記憶にある顔と同じだ。
すごく恨んでいるわけでもないのに、ただ泥棒扱いされた思い出しかないのに忘れない。
あの日、家に帰って母親の顔を見た時、泥棒扱いされたことはどうしても言えなかった。すごく切ない気持ちに支配されたことはよく覚えている。「こんな娘でごめんなさい」という気持ちだったような気がする。
ずっと長い間この担任を心の奥底で見返してやりたいと思っていた。だから今でもちょくちょく思い出すのだと思う。
歳をとってからは辛い出来事が次々と押し寄せて、担任への悔しい気持ちは私の心のタンスの奥に追いやられた。
今ではもうどうでもいい。
あなたのような人間にならないようしよう。ただ、そう思うことだけは、どうでもよくなかったようだ。
私は、この盗難疑いの件を思い出すたびに自分はどうなのか、と思ってきた。平気で人を疑ってそれを正当化しようとしている。
あの担任と同じではないか。
あなたたちがきちんとしないから、私はこんなに疑い深い人間になったと責任転換しているダメな人間だった。
でも、私はあれからというより、ここ10年くらい前からかなり成長してきた。
悔しさを自分の成長のバネにすることに使っている。
そして、あの担任のような人間とは縁をきるようにしてきた。
見返すために、何事にも諦めない私になった。
諦めずにやり続けることに、成果はかなりあるということに気がついた。