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自己紹介---はなぴく---会社を辞めて花屋になりました

「お花屋さんの仕事ってキレイでいいね」
 という言葉につづけて、
「どうして花屋さんになったの?」と聞かれることがよくあります。
 私が男だからかもしれません。

私は最初から花屋だったわけではありません。

親が花屋だったわけでもありません。

大手の花屋に就職したわけでもありません。



私はサラリーマンの次男として生まれ、自分もサラリーマンになるもんだと漠然と考えていました。とくに野心がないというか、大志を抱かないというか、視野が広くないというか、そんな若者でした。のほほんと生きてるといった感じに見えたかもしれません。

ところが大学を出ていざサラリーマンになってみると、当たり前ですが「のほほん」では生きていけません。入社してすぐに頭がくらくらするほど、いや、吐き気がするほど適応できず、ウツのような感じになりました。サラリーマンとして生きていくには完全に、重要なものが足りない人間でした。

はやくも入社1年目の夏に上司に「辞めたい」と泣きごとを言って困らせました。その後「辞めたい」を言い続けても引き留めてくれる上司の恩情に甘えてのらりくらりと3年半も相思相愛ではない世界に身を置いてしまいました。

4年目の年末にとうとう上司も「もう、辞めるか?」と留めなくなり、サラリーマン生活に終止符を打って地元へ帰ってきました。

これが私の情けない最初のキャリアです。


それなら今後どうしていくんだということになります。
私が選んだのは「花屋さん」でした。

そこで、冒頭の「どうして花屋さんになったの?」という質問。

じつは質問者が納得するような理由などなくて、思い出すのも辛いようないろんな不適合から逃げやすい場所に私には見えたのです。
少人数の組織で、商売がシンプルで、まわりに女性が多く、お客さんから直接感謝され、自分独自の個性(作風)を仕事にできる職場。そんなところが逃げ込みやすく見えたのかもしれません。

でも実際には花屋の世界も決して甘くはありません。
きつい性格の店長がいたり、大変な作業が多かったり、時間に追われたり、たまにクレームがあったり、個性を出せるような立場になるまでに下積みが長かったりもします。

それでも、社内で根回しをしたり計画/実績を検討したりする業務よりも、実際に価値のあるモノ(商品)を目の前で作って販売するということが「なんか性に合うなぁ」と感じました。

最初のお店で1年半、次のお店でも1年半、合計3年間の修行を経て30才で自分の店を開業しました。

最初はお花が売れませんので日々たくさんのロスがでたりして胃が痛くなったりしました。お花は食品などと違って特別な日に買うことが多いので、固定客やファンがいないと本当に売れないものだなぁとあらためて思いました。

突然 救世主が現れたのは、そんな開業から間もない頃でした。
その救世主(友人夫妻)が我が店に初めて来てくれたとき、まだインターネットなどというものは一部の人にしか利用されていないマイナーなツールでした。大学時代の飲み友達の彼らは、開業のお祝いに店のホームページなるものを作ってくれたというのです。

今の人間から見れば失礼ながらとても簡素な作りのホームページでしたが、問い合わせができるフォームが実装されていました。ほったらかしにしていたメールボックスを友人と一緒に見てみると、母の日の注文についての問い合わせが1つ来ていました。

その後、自分でも猛勉強してインターネットによる通販を始めると数年後にはネット専業の花屋になっていきました。その結果、①完全予約制で ②在庫を持たず ③従業員もゼロ。結婚して持ち家の1階に店を移したため ④家賃もありません。いまではそんな花屋さんはいくつもあると思いますが、当時はかなり特殊な「実体がない花屋」として市場でも不気味がられました。

製作するごとに自分の作風も確立していき、個性的でだれが作ったお花かすぐわかると言われるようになりました。

たくさんのお客さんにいろんなお花を作ってお届けして来ましたが、60歳になるのを機に、一旦ここで花屋人生を完結しようと思います。

この年になって note なるものを知り、サラリーマンの世界から逃げてきた私が花屋となって何を考え何を届けて来たのかを振り返ってみたくなりました。少しずつ書いていきます。




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