道なりの未来»夢や進路に迷うあなたへのSS
気がつくと、私は鬱蒼とした森の中を歩いていた。
鳥の声すら聞こえない深い森。曇っているせいか、木漏れ日も差さない足元には、獣道と呼ぶには些か綺麗すぎる道が続いている。
ここはどこなのか。
どこへ向かっているのか。
何も分からないのに、不思議と歩みは止まらない。深く考える気にもならず、私はただ黙々と、誰かが整備したであろう道に従って歩いた。
どのくらい進んだだろう。
ふと、道の脇に目をやると、小さな木の看板が立っていた。私は初めて足を止めて、書かれている文字を読む。
“この先、演奏家”
それだけの看板が示す先は、木々の枝葉に覆い隠されてよく見えない。ただ、その下の土には、登山靴で付けたようなしっかりとした足跡が、大小いくつかあった。
きっと今の道を逸れて、あちらへ行くことも出来るのだろう。現に、足跡の主たちは踏み込んでいったのだ。
見えないからこそかもしれないが、あの先には確かに心惹かれるものがある。行ってみたいようにも思う。
でも、と私は顔を背けて、元いた道を再び歩き始めた。
私より良い靴で向かった人がたくさんいるのだ。険しい道なのかもしれない。目的地へ到達出来るのは、選ばれし者だけなのかもしれない。
好奇心に蓋をして、ぼんやり淡々と歩みを進める。相変わらず薄暗い森。果てしない道。
ああ、また看板だ。よせばいいのに、私はつい引き寄せられてしまう。
“この先、個人商店”
そう書かれた看板の向こうは、先ほどと同じく判然としない。少なくとも入り口には、何やら刺々しい低木が連なっていて、踏み出せば傷つくのは明らかだった。
それでも、魅力を感じてしまうのは何故だろう。
思い出すのは、尊敬する父の姿だ。具合が悪かろうが休まず、一人で店を仕切り、己の力で稼いでいた父。あんな風に生きることができたら、なんて誇らしいだろう。
けれど、私は臆病者だ。目を閉じて、見ないようにして、元の道を歩き続ける。
もはや入り口であの状態だ。先も茨の道なのだとしたら、父のように切り拓いていけるのか。私にそんな力があるのか。
無能な私には、この道がお似合いだ。困難の少なそうな、平凡でありふれた道。
いつしか森は一層深くなり、道幅も狭くなってきた。そろそろ一息つきたい、と頭では考えるものの、足は勝手に進んでいく。
薄々、私は察し始めた。これは夢だ。だから、妙に体の自由がきかないのだ。夢だとすれば、こんな所にいる理由も、不思議と私が過去に描いた夢を掲げる看板も、説明がつく。
ひらけていた道は今やデコボコしていて、雑草が絡み合い随分歩きにくくなった。平坦な道を選んだつもりが、この道にも障害物はあったのだ。
細い枯れ枝を掻き分けながら、幾度もつまずきそうになる私の耳に、ピピッピピッと鳥のさえずり……否、目覚まし時計の音が聞こえる。森には霞が立ち込めてきて、辺りは一面、真っ白になった。
瞼を開くと、森は消え、見慣れた部屋のシーリングライトが目に映る。
壁には、くたびれたスーツ。その横の机上には父の小さな遺影があり、下にはもう長いこと開けていないサックスケースが鎮座している。
現実を突きつける光景に相対して、私は先ほどまでの夢を振り返った。
もしも、看板の向こうへ勇気を持って踏み出していたら、どんな景色があったのだろう。
今更よぎる思いは、胸の内に重く沈む。これ以上考えないように、私はベッドから身を起こし、朝の支度を始めることにした。