神»子育て中の親と大人になり始めた子へ
私は、神によって創られた人間だ。
はじめに、神は私に人としての基礎を教えた。
歩行、食事、そして言葉。
神のお導きのとおり、私は動物を脱した。
次に、神は物事の善悪を示した。
数十冊もの聖典を読まれ、私がそれに背くような言動をとると、厳しく罰せられる。
無謀にも歯向かってみたりしたが、神に私が敵うはずもなかった。
ただ、罰するだけでなく、神は数多の恵みもお与えになった。
衣食住は当然のごとく、音楽を聞かせ、書物や芸術を見せ、あらゆる場所へ行き連れ給うた。
同時に、しばしば得手のある者を呼び、私にもそれを身につけさせようとした。
美しい文字の書き方、素早い計算の仕方。
神の仰せのままに、私は訓練を積んだ。毎日の課題を、面倒と感じることはあれど、こなす必要が無いと思うことはなかった。神が必要とお考えになるのなら、きっといずれ役立つのだろう。
生まれながらに、私は神を信仰していた。
神が与えるものを、疑いなく受け入れた。
神が良しとするものを私も良しとし、神が否定するものに私は手を出してこなかった。
あるとき、私は別の人間と出会った。
私の知らないことを知り、私とは違う感性を持つ人間だった。
私は神が常々、いずれ異性と子を成すようにと言っていたのを思い出し、その人間と契りを交わした。
神に定められた住まいを後にし、その伴侶との暮らしが始まった。
すると、恐ろしいことが分かった。
伴侶は、別の神に創られたと言う。だから、物事の捉え方が違うのだ。
私の神が嫌っていたものを勧められ、初めて食べた。意外にも、それは美味であった。
伴侶の神は、私の神とは違う方法で、伴侶をここまで創り上げたようだった。それでも、伴侶は立派な人間に成っていた。
私の神は、唯一絶対の神ではなかったのか。
物事の善悪は、積むべき経験は、身につけるべき能力は、私の神が定めたものこそ正解ではなかったのか。
疑念の答えは、程なくして生まれた私の子が教えてくれた。
言葉を使えるようになると、子は純粋無垢な瞳で私を見上げ、ねだるのだった。
「さあ、僕を導いてください、神様」
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