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あなたが生まれたときのこと

 かけがえのない我が子におくる出産記録です。

 あなたが生まれて、早いものでもう3か月が過ぎ、はじめてのクリスマスが来ました。
 本当は産んですぐ書いておこうと思っていた、あなたが生まれたときのお話。おそくなってしまったけれど、最初のクリスマスプレゼント代わりに、ここに記しておこうと思います。

 9月になって、もういつ生まれてもいいよ、と私は毎日ドキドキしながら過ごしていました。ストレッチをしてみたり、暑い日ばかりだったから夜に神社まで歩いていのってみたり。
 でも、生まれる気配がないまますくすく育って、ついにお医者さんから「3800グラムあるかもしれないから、もうお薬を使って誘発ゆうはつして産もうね」と言われました。

 入院前日の9月9日。病院の帰りにお父ちゃんとカレーを食べに行きました。それで生まれることもあるって読んだから試してみたんだけど、結局効果は無かったね。でも、おいしかったから良い思い出になったよ。

 10日。お父ちゃんと一緒いっしょ緊張きんちょうしながら病院へ行って、ベッドでお薬を1時間に1じょうずつ飲んでいきます。陣痛じんつうが来たかな?と感じる時間もあったけど、テレビも見ていられたし、ごはんも全部食べられるくらい元気でした。
 そのまま痛みが引いていってしまったので、お父ちゃんには帰ってもらって、私は夜も病院にいました。お薬のせいか、心配のせいか、夜中もお腹が痛くなって目が覚めました。ベッドで座っていたら助産師さんが巡回じゅんかいに来て、「しっかりたほうが明日良いお産ができますよ」って教えてくれたんだけど、あまり寝付けないまま朝になってしまいました。

 11日。今度は飲み薬じゃなく点滴てんてきでお薬を入れることになりました。でも、注射の針をすところがなかなか見つからなくて、4回もうでを刺されてとっても痛かったです。このときの青アザはしばらく残ってて、後でみんなにびっくりされました。

 8時ごろ、院長先生になんとか注射してもらって、10時過ぎにはお腹が痛くなってきたけれど、このときはまだモニターを見て、今の痛みのレベルはいくつだったかなとか、赤ちゃんの心拍しんぱく大丈夫だいじょうぶかなとか考えることができていました。

 それが、時間が経つにつれてどんどん痛くなってきて、痛いときはぎゅっと目をつむって、イスの手すりをにぎりしめないとえられなくなってきました。助産師さんは時々しか来てくれず、お父ちゃん早く!って心の中で呼んでいました。

 ようやくお父ちゃんが来たお昼頃、痛みもかなり強くなってきて、私はわあわあさけんでいました。助産師さんが見に来てくれたけど、まだまだと言われて、それからはおそろしくて時計を見ていません。

 痛いのが来るとワーッともだえながら丸まって、波が引いたらハフハフ息をして、そのり返しが長いこと続いていました。
 お父ちゃんは教えてもらったようにさすってくれたけど、れてるところに意識が向くからか、痛みからげられない感じで苦しんでいました。
 でも、今思えばそれがあったからちゃんと陣痛が進んでいったので、そばにいてくれたお父ちゃんには感謝しています。

 助産師さんにも感謝しなければいけません。
 途中とちゅう、私が横向きに丸まっていたからあなたも回転してしまったらしく、助産師さんがぎゅっとして向きを直してくれたのです。
 痛い痛い!っておこってしまったけど、本当はありがとうだったのにね。そのときはそんな余裕よゆうは全然ありませんでした。

 どんどん時間が過ぎて、院長先生が「もうちょっと待ってダメなら帝王切開ていおうせっかいにしよう」と言っているのが聞こえてきました。
 助産師さんは、「お腹を切らなくても吸引分娩きゅういんぶんべんで産める」と話しています。
 私はすぐにでもこの痛みから解放してほしかったのと、少し前に動画サイトで吸引を何度もやって亡くなってしまった赤ちゃんの話を見たばかりだったので、助産師さんに「帝王切開でいいです、吸引は赤ちゃんが危ないから」と息も絶え絶えに伝えましたが、「どっちの方法も危険はあります」と返されて、またしばらく苦しむことになりました。

 波が来ているときは、お腹がこじ開けられるような物凄ものすごい痛みがあって、でも波が引くとちょっとフワフワするような感じがします。
 これも少し前にネットで、出産はとてつもない痛みだから、人間の体は自分で脳内麻酔ますいのようなものを作って、ちょっと気持ち良くするように出来ていると学んでいたので、これがそうなんだなあと過呼吸になりながらも感心していました。

 最後のほうは、意識が朦朧もうろうとしていたけれど、いよいよ助産師さんが3人くらい来て、「口をつむって!いきんで!」と言われるようになって、もうすぐなんだと希望が見えてきました。
 もういい加減にラクになりたかったのと、何よりあなたも苦しいかもしれないと思って頑張がんばったら、上手と初めてめてもらえました。

 お父ちゃんのかたを借りて、ベッドからとなりの部屋に移動して、また何回かいきむのを繰り返していたら、いつの間にか十人くらい、先生や助産師さんが来てくれていました。
 後で聞いた話だけど、手術の準備もしてくれていたみたい。でも、一人の助産師さんが、大丈夫!産める!と押し通してくれたんだって。こんなにたくさん集まってくれるのはすごくラッキーだったそうです。

 もう片方の腕にも点滴を刺されたり、赤ちゃんの出口を切り開いたりしていたみたいだけど、この頃は痛みが強すぎて私にはよく分かりませんでした。
 何回かまた痛みの波が来て、あなたを吸い出すための機械を使っていた気がします。「ちょっとだけ休憩きゅうけい、休憩させて」と私はへばっていました。

 ただ、はっきり覚えているのは、院長先生が「次でダメなら……」と言っているのが聞こえたときのこと。
 あなたが危ないのかもしれないと思ったら、そんなの絶対いけない、たとえ私がどうにかなっても必ず次で産んでやると、強く心にちかえました。

 また痛みが来て、先生が機械を使って、助産師さんが私の上に乗って体重で押し出してくれて、私はれ果てている力を何とかしぼって、振り絞って……。

 17時56分。二日間の激闘げきとうを経て、あなたは誕生しました。

 良かった、こんなに大きな子がお腹にいたんだ、早く泣いて息をして、と色々思っているうちに、あなたはすぐ泣いてくれました。長いお産の間も弱らず、生まれてからも元気だったので、心底有り難かったです。
 助産師さんたちが別の部屋へ連れて行ってくれて、お父ちゃんもそっちへ付いて行って、私の知らないうちにっこまでしていたらしいよ。

 私は、まだ産んだ後の処置が残っていて、結構長い時間また痛い痛いとうめいていました。でも、ついさっきまでと比べたら耐えられるし、無事に生まれたんだから一安心でいられます。

 ようやく、ようやく終わって、私もあなたを抱っこさせてもらえました。初めてかけた言葉は何だったかな。頑張ったね、と言ったような、とにかくまだ信じられないような気持ちでした。

 しばらくベッドで横になっている時間があって、隣にお父ちゃんが来て、じきにあなたも来て、そこでお父ちゃんがあなたの名前を提案してきました。すぐには決められなかったけど、あなたの名前はそのときの名前です。

 口をパクパクしていたから、どこか具合が悪いのかと思って助産師さんに聞いたら、「お腹が空いているんじゃないかな」とのこと。お腹の中にいたときから、ご飯に反応して動く子だったから、やっぱり食いしんぼうかと笑っちゃったな。そのうち泣き出したので、あなたには最初にガマンを教えるね、と声をかけたのは覚えています。

 その後は退院まで、あっという間に過ぎていってしまいました。
 あちこち痛いのになかなか寝られなかった産後の夜。美味しくて毎回楽しみだったご飯。同室になって、夜は30分か1時間おきに泣いて、授乳も上手くいかず、泣かせながら連れて行ったミルク室。大変だったけど、それをはるかに上回るいとおしさで、見ているだけでなみだがあふれてきたこと。
 所々記憶きおくに残っている景色は、きっとこれからも忘れないと思います。

 生まれてきてくれてありがとう。
 元気に育ってくれてありがとう。
 身に余るほどの幸せを、あなたは運んで来てくれました。だから、感謝するのは私のほうで、これを書いたところで産んだ恩を売るつもりはないのです。
 私がずっと覚えていられるように、そしていつかあなたが、生まれたときのことを知りたくなったら読めるように、そんな気持ちで書きました。
 家族や病院の人たちがたくさん力を貸してくれたんだよ。あなた自身もすごく頑張り屋さんだったよ。どうかこれからも、色んな人に助けられながら、たくましく元気に生きていってね。
 

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