顔も知らない。 実際に会ったこともない。 どんな人なのか知らない。 姿カタチは全く見えない。 そんな人の作ったもの、 センスやデザイン、技術などに 惹かれたり、 購入したり、 ファンになったり。 発信された言葉に勇気づけられたり、 学びを得たり、共感したり、 心動かされたり。 そういうことがあるのに、 姿カタチ、見た目だけで あぁだこうだと言われる。 その人の何も知らないときから、 見た目だけであれこれ決めつける。 見た目を判断基準にされる。 才能や機会やいろんなも
辛かったあのことも、あれもこれも、全部それらがあったからこそ、今の私になれた。 現実的にはあれもこれもいつまで経っても出来てない、そんな状態だけど。 まだまだ今までの思考の癖とかは残ってもいるけれども。 それでも、内面的には、物事の捉え方とかは随分と変わることができた。 あれもこれもあったから。 辛かったし、悲しかったけど、全部あったから。 あれがなかったら、きっと私は内面的な成長はなかった。 ネガティブな出来事も今の私の糧になっている。 本当にそう思う。 思うけど、や
ごはんが美味しいだとか、空が綺麗だとか、誰かと話していて楽しいだとか。 そういう幸せを感じること、好きを感じること、それを分かち合えたらいいだけなのに。 幸せを感じること、好きを感じること、それを分かち合うことに、見た目だとか、学歴・勉強が出来るかだとか、収入だとか、なんにも関係ないはずなのに、なんにも必要ないことなのに。 なのに、見た目があぁだとか、学歴があるか・勉強が出来るかとか、収入は多いか少ないかとか、その他諸々のもので判断されて、区別されてってどうしてそうなる
マヤ・アンジェロウさんのこの言葉をつい先日知った私。 素敵な言葉だな、と思った。 自由に情報発信が出来るようになって、スマホがあれば簡単にどんな情報も入手出来る。 ときには、勝手に入ってくるようになった社会。 自分がうまくいったやり方を無償で人にも伝えようというのは優しさでもあるし、それを知れることはありがたいことです。 確かに、○○しよう!○○はダメ!とか、 いろんなビジネス論とか、ビジネス以外の人間関係とかでもなんでも、テクニックとして言われていることは確かにそう
※「はじめの想い」から何記事か続いています。 5年程前の私が想っていたこと。 不登校や中退で悩み苦しむ人、 私のような人の力になりたい。 学歴なんて関係ないと伝えたい、証明したい。 私の頃と比べて、今はだいぶ学歴なんて関係ないんだという時代になっているように感じます。 が、それは、私の意識が変わっただけかもしれません。 大切なのは学歴ではないとあちこちで言われつつも、まだまだそんなことはないという場面も多いような気もします。 10年以上前のことで、私の話や経験が今の時
※「はじめの想い」から何記事か続いています。 自分を生きること、宇宙の法則などを実践する人達の集まりに入っていくと、本当に様々な人がいました。 圧倒的に女性が多かったけれど、幅広い年齢層、 それぞれの理由で集まった人達。 自分の気質に悩み、生きづらさを感じている人。 世間では普通といわれることが出来ずに悩んでいる人。 辛い体験をしてきた人。 全員が辛い体験をしてきた、悩みを抱えている、というわけではありません。 ですが、もっと自由に生きたい、もっと自分の人生を生きたい・
※「はじめの想い」から何記事か続いています。 私がスピリチュアルなことに興味を持ったきっかけ。 それは、当時、ハンドメイドのブログ上で交流のあった方が、スピリチュアルに関する記事を書いていたことがあった、ということです。 スピリチュアルと聞くと、怪しい・危ないと考える方もいらっしゃるでしょう。 しかし、スピリチュアルは神様とかエネルギーとか、 そのような話ばかりではありません。 精神的なこと、心に関することだったり、現実の世界で生きる上で大切なことも教えてくれるものだと
4年以上かかったけれど、大学の通信教育部を卒業した私。 問題はここからでした。 学歴がほしいと高校卒業程度認定試験を受けたり、 大学の通信教育課程で勉強していたけれど、 そうしていることで、そうしているうちは、 外に出られなくても、まだ許されるような気がしていたのです。 外に出られなくても許される理由がほしかった。 そんな思いもありました。 それが、ついになくなってしまった。 相変わらず、外に、社会に出るのがこわい。 働きになんて行けない。 そんな状態でした。 そん
高校卒業程度認定試験に合格し、高校を卒業したのと同じ資格は得た。 あまり認知されていなさそうであったし、理解されない、同じ扱いをしてもらえないような気がして、通信教育課程のある大学に行くことにしました。 通信教育といえども、何回かは大学に行かないといけなかった。 それが嫌で嫌で仕方がなかったけれど…。 しかし、思っていた以上に大学まで行かないといけなくて、はじめのうちは前日に泣いたりしながら行っていました。 そのうち、泣くことはなくなりましたが、嫌なことに変わりなく。
※「はじめの想い」から何記事か続いています。 学校に行けなくなって、苦しくて。 理由を言えなくて、まわりを困らせていることもわかっていた。 まわりからなんと言われるか、なんと思われているかこわかった。 学校で躓いていたら終わりだ。 こんなので社会で生きていけるはずがない。 学歴社会といわれていて学歴もなく、なにもやりたいこと、得意なこともない平々凡々な私はこのままで生きてなどいけない。 そんな私は大学までいかないと。 いろんな思考に追われていました。 学校に行けば、全て
学校に行けない理由をなにも言えなかったといえ、 クラスに馴染めない、合わない、しんどいと、 ただそういったことだけは伝えていたと思います。 部活では公演が迫っていて、私がいないと困るので、部長からもメールが届きました。 迷惑をかけていることはわかっていたし、 なにも言わないというわけにはいかないだろうと、 クラスに馴染めないや合わないといったことだけ伝えました。 そうすると、 「みんな、そんなもんじゃないか。私もそうだ」 と言われました。 そんなことは、わかってる。 言わ
※「はじめの想い」から続いています。 高校に行けなくなったのは、私の弱さの問題だ。 私自身の問題だ。 自分が悪い。 自分が解決しないといけないこと。 自分が動かなきゃいけないこと。 でも、誰かにどうにかしてほしかった。 助けてほしかった。 もちろん、家族も学校もどうにかしようとしてくれました。 家族も私と同じように「学校に行くことが大切だ」と当時は思っていたので、なんとか学校に行けるようにとしてくれました。 当然、学校に行きたくない理由を聞かれます。 だけど、私
※前回の記事から続いています。 私は15年以上前に高校を中退しています。 1年生が終わるタイミングで退学しましたが、 学校に行かなくなったのは10月頃から。 いじめられていたわけではありません。 科目によって苦戦はしていましたが、勉強に追いつけなかった、というわけでもありません。 仲良くしてくれる友達もいました。 でも、いまいち馴染めない。 クラスの中にいる私は私ではないような感じ。 そして、まぁ、大体どこにでもいるであろう、目立つタイプの人達についていけない。 合わ
もっと表現しやすい世界にしたい。 年齢・経歴・経験の数とか何も関係ない。 やり方だって、決められない。 素人でも、知識も経験がなくてもやれるんだ。 0から創れる。 誰でも創れる。 今言われていること、今あるやり方にとらわれない。 自分の手で創れる。 表現出来る。 もっと表現しやすい世界にしたい。 私がしたいのは、お芝居や歌・音楽。 お芝居は、ほんの、ほんの少しかじったことがある程度。 歌・音楽に関しては、ほんと趣味というか、好きの範囲。 以前よりも、そういう表
あっちもこっちもずーっと停滞している感じ。 徐々に戻ってきた感があったのに、やっぱり上がれない。 ハンドメイドアクセサリーの販売をしているのですが、 1ヶ月ほど前からスランプに陥り、完全にストップを喰らってる。 (スランプは抜け出してきたかも?) 焦りや不安は感じるけど、そんな中でも、 「全ての流れは完璧」 「必要なことしか起こらない」 「流れを信じていればいい」 という言葉をだいぶ信じられるようになって、 それを信じている自分もどこかいる。 いい方向に現実的に向かってい
自信がある人、根拠なき自信がある人がうまくいく。とか言われたってさ、 自信ってそんな簡単につくものじゃないし、 根拠ないとか尚更どうにか出来るものじゃなくない??? 後から自信がついたという人もいるだろうけど、 何故か知らないけど元から自信がある人っているじゃないですか。 元からある人と比べられたって、みたいな。 で、私は自信があるからといってやったことに対して、必ずうまくいくとは限らなかった。 自信がないけど、やってみたらうまくいった、ということもある。 だから、自信あ