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まただ・・・【憑依型漫画家とゆう意味】

いま、ペットの殺処分についての簡単な漫画を描こうと思っている。

昔からうっすら脳内にあったことだ。
これもまた、かなーーり物議を醸し出しそうな内容である。。。(^_^;)ま、いっか(どーん)

なんでわたしはこう、夢あるキラキラした漫画とかトキメキとかキュンとかが描けないのだろう。。。

漫画は完全に素人で下手な方だけど、実は学生時代一度は本気で漫画家を志していた。
雑誌に投稿して、編集者が付いてくれて、ネームのチェックを課題として出していた。そして見習いアシスタントとして背景を描いたり等仕事もしていた。キャラクターを作り、起承転結のプロットを書き、訴えたいテーマや描きたいシーンなどを書き上げていく。
むりやり何作か仕上げたけれど、実に楽しくなかった。

この苦しさを続ければ必ず漫画家になれると思っていた。
「努力さえすれば、辞めなければ必ず夢は叶う」と根性論で将来を簡単に考えていた。しかし、10代の頃の自分は、まだ人を本気で好きになったことが無かった。人との関わり方もよく分からなかった。
想像力と経験が足りないのか、センスが無いのか実際に居ない人に恋をすることが楽しくない。キャラが動かない。その内、絵を描くことは好きだけど、現実世界で恋人とデートしている方がずーーーーーーーっとたのしい事となっていった。人生の優先順位が変わった。
結局、あれから最後まで納得いく作品は作れないままだ。

「コレを読んで誰が楽しいのだ?」
「私は本当に漫画が描きたいのか?」
「絵だって雑だし、編集さんにアドバイスされた通りに売れっ子の真似をしたような絵柄にも変えた」

冷めた自分が心の中で囁く。

「才能が無いんだ」

そうすると筆を持つことすらおっくうで、、、普通に働いた方が合っているとすっぱり諦められた。仕事は楽しい。現実の恋愛のほうが真剣だった。絵は趣味で楽しむモノだ。働いていれば好きなことだけ描けるじゃ無いか。
”夢を諦めた”だったのか、”描きたいと思える経験を積みたい”だったのかはわからない。でも何を言ってもいいわけで、それは確実に夢を諦めた挫折だった。

あれから何年もたち、ツイッターで投稿した漫画が少しバズッた。
まるで、導かれるように筆が動いた。不思議な感覚。
感情が浮かんでくる。
言葉がどんどん溢れて削らなくてはいけないほど。
過激になりすぎないように、傷つく人がなるべく居ないように…。誤解されないように・・・。でも、コレを描けるのは無名の自分しかいないんじゃ無いのか?なんて使命感すら感じていた。感情を訴えたい。表現したい。伝えたい。

名古屋で起った出来事が皮肉にも私の創作意欲に火をつけてくれたんだ。優しい言葉をかけてもらえる事が嬉しかった。シェアしてくれた高須先生に心から感謝している。こんな無名の趣味のなんの知識も無い人間の落書きがいろんな人に見てもらえる、声をかけてもらえる本当に最高の機会を作ってくれたから。
そしてどうか、先生のご病気が快調に向かいますように。

そしてあの感覚のまま、2作目に突入。
願わくば、憑依型の漫画描きがまた出来ますようにーーー!!!

創作活動にサポート頂けますと嬉しいです!!