意味あるのかなって思うときがある
わたしが所属してる『草月流』という流派は巨大な作品を作ることも得意としている
先日、その巨大な作品を作る講習会があった
さんざん悩んだ挙句、参加を見送った
見送った理由は2つある
◆講習料がべらぼうに高い
参加者が見込めなかったため、割高にしたとのことだった
みなさん、見飽きた(読み飽きた)と思うケド、いけばな業界の高齢化は日本のそれとはケタ違いに進んでいる
現役バリバリが80代90代なのだ
さすがにいくらお元気でも動くのはお口だけになってきている
脚立に登ってインパクトドライバーを打つ、というのは色々モンダイが生じる
◆大物を作る技術があっても仕事の依頼がない
もう、これは営業がドヘタクソなんでしょう、と言われればそれまでだけど、パブリックアートにお金を出してくれる企業が激減どころか、なくなっている
公共の場に芸術を飾る、っていうことにお金を出すなんてムダ、愚の骨頂、になってるんだよね
ましてやいけばなって一瞬のもの、もたせて半月、1週間くらいしか飾れない、後世に残すことができない、消えてなくなっちゃう
昭和のころは正月にはホテルのロビーにでっで~んっっと牛車に巨大な花が飾ってあったりしたけれど、それにお金をかけることができるくらい体力のあるホテルもなくなっている
豊かってなんじゃらほいっ?って思う
先に述べたとおり、いけばなをきちんと教えることができる先生方は80代90代
そんな80代90代の先生方でもスマホは持っている
コロナになって外出ができなくなったとき、せめてインスタなんかで交流を、と懇切丁寧な説明書を作ったケド、無駄な努力に終わった
「紙に書いてあるとおりにやればいいってわかるけどね、怖くてできないのよ」
多くの先生方に言われた
歳を取るということは、今まで積み上げてきたものの中だけで暮らしていく、ということなんだなと実感した
新しいことは歳を重ねた人には恐怖でしかないと知った
だからオンラインで教えるなんてもっての外ということが分かった
教えることができる先生方はあと10年もしたら教えることができなくなるだろう
別に日本と言う国から「いけばな」という文化が消えてもなにひとつ困らないだろうね
そう考えると自分のやっていることが馬鹿らしく無駄なことに思えてきちゃう
…月曜から夜ふかしならぬ、月曜から愚痴
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