いけばなの先生って、親なんだよね
稽古場が新緑でいっぱいだ
とても清々しく気持ちが晴れ晴れする
20歳の4月、社会人になって早速、いけばなを習いたいと申し出るも、少し社会人というものに慣れてからにしなさい、との育ての母のアドバイスに従い習い始めたのは5月
気が付けば、あれから三十数年
それでもいけばなの旅はまだまだ果てがない
華道や茶道の自分の先生を、一般的には親先生と呼ぶ
これが本当に≪親≫なのだ
だからわたしには
生んでくれた母
育ててくれた母
そしていけばなの母がいる
わたしの親先生は父よりほんのちょっと年上、いつもいつもニコニコしていた
そして1度も叱られたことがない
1度も否定されたことがない
わたしが所属している流派は個性を大切にすることが特徴と言われている
正にそのとおりで、
「あなたがきれいと思うならそれでいいのよ、
けどね、もう少しこのようにしたらもっとステキにみえない?」
というスタンスだ
還暦目前にして少しマシになったけど、わたしは感情の波が激しく、常にジェットコースター状態
調子にのって馬鹿みたいに大はしゃぎ、結果とんでもないチョンボをして落ち込み、急に死にたい死にたい、なんて大騒ぎしたり
いけばなの稽古は月4回、つまり週1回だった
こんな感情の起伏が激しいわたしの心のリセットの時間だった
いつもどんな状態で稽古に行っても先生は
「いらっしゃい~」とニコニコ
稽古場に入ると、すっと気持ちが凪になる
そして植物と静かに向き合う時間
この時間がなければ身も心も持たなかっただろう
毎週水曜日は心をリセットする日だった
稽古のとき先生は毎回毎回
「あらま~、上手にいけたわね~、いいわね、いいわね」と言いながらほんのちょっと触る
この『ほんのちょっと』が凄かった
先生の手は魔法の手
ぐだぐだでヘンテコリンな作品が急に、ぺかーっ!!!って輝くのだ
そして毎回思うのだ
わたしはダメなんじゃない
ほんのちょっと見る角度を変えたり、ほんのちょっと立ち位置を変えたり
そうすればわたしはちゃんと輝けるのだ
はなをいけるってこれを週イチで実感する時間
こうやってわたしは親先生に大切に、大切に育てられた
いけばなを習っていなければ、今の前向きで明るくて元気でへこたれない
わたしは、ここにはいない