2024/8/10-11
ガイド日記
前回が7/16だったため、約1ヶ月ぶりのガイド。
ガイドの予約は2名のみだったのですが、ドーム前で話し始めると多くの方が聞いてくれました。
ドーム前での説明後、希望者を募りその後、平和公園を一緒に回りました。
参加していただいた皆様ありがとうございました。
新潟から来られたご家族。
お兄ちゃんがはだしのゲンを読んでいて興味津々。もっと聞きたいと言ってくれて、途中家族会議を挟みながらも最後まで聞いてくれました。
「自分はこうしたい!」
とちゃんと伝えられることはすごいなと思いました。
今回のガイドには広島の方が2名参加してくれました。
2名とも被爆2世。
1名の方は両親共に被爆者、また、叔父さんが原爆死されており遺骨も見つかっていないそうです。
叔父さんは「戦争が終わったら、ちからのおはぎをお腹いっぱい食べたい」といつも言っていたため、毎年ちからのおはぎをかって原爆供養塔にお参りをしているそうです。
いつもは1人でお参りしているのですが、今回は参加者全員で行ったため、「たくさんの方と一緒にお墓参りした気持ちになり嬉しかった」と言ってくださいました。
もう1名の方は父親の体験を語り継ぐことを始めています。
自分は親族に被爆者はいませんが、体験者が少なくなっていく中で出来るだけ多くの人で伝えていけたらと思います。
中国人の家族
アラスカンマラミュート
11日は昼間にセレッソ大阪のサポーターでインフルエンサーでもあるぽみさんに偶然遭遇。
Xでも投稿してくれました。
ぽみさんのX
ぽみさんのYouTube
ありがとうございました。
11日もたくさんガイドさせてもらったのですが、全然写真撮れてないです、、
写真は撮れていないのですが、香川県からの家族、お母さんは韓国人でお子さんは双子の小学生でした。
双子の小学生たちは勉強熱心で質問責め
「原爆ドームってもともとなんだったんですか?」
「原爆ドームの高さって何メートル?」
「爆弾の大きさってどれくらい?」
「何人くらい人が亡くなったの?」
などなど。
お母さんも熱心で「子どもたちに戦争だけはなかにがあってもだめよ」「原爆ドームはただの観光地ではないよ」と伝えていました。
充実した2日目間でした。
サンフレッチェ広島も見事試合に勝利。
この試合はピースマッチとして開催されました。
(チケット取れずに見に行けませんでした…)
試合の様子についてはこちらから↓
サッカーが出来る平和に感謝。世界中でサッカーが出来る平和を。
原爆•戦争•平和の記事
『記憶を受け継ぐ』 三登登美枝さん―父失い 胎内の子も被爆
106歳(さい)の三登登美枝さんは、27歳のとき「優(やさ)しくて大好きだった」父を原爆に奪(うば)われました。自身も広島壊滅(かいめつ)の3日後、妊娠(にんしん)4カ月で市中心部に入ったため翌年(よくねん)出産した長男は胎内被爆者です。79年前を思い出すのはつらく、進んで体験を語らずに生きてきました。
全文はこちら
79年経つ今だからこそ学ぼう。そして伝えていこう。
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