岡部倫太郎にガチ恋しかけたという話
ここ数日、頭が爆発しそうなくらい眠くて眠くて仕方がなくって、更新が滞っていた。
春眠と言うにはまだ早い気がするので、この気怠さは天候と気圧と気温のせいである可能性が高い。
まあ、文章は、書き始めれば意外とすんなり、淀みなく紡がれていくものなので、とりあえず何か書こうと思いnoteを開いた。
そして、あまり頭を使わないような内容のもので、少し楽しい気分になれるようなものを書こうと思って、題材を考えた。
結果、出来上がったのが、このタイトルである。
馬鹿みたいなタイトルだな。
さて、皆さまは、「STEINS;GATE」というアニメをご存じだろうか。
かなり古いアニメである。放送開始は2011年、30分×全25話で構成された作品で、ジャンルとしてはSFにあたるようだ。
筆者はこの作品が「神アニメ」と謳われているのを何となくは知っていたし、いつか観てみたいとも思っていたのだが。12.5時間というまとまた時間を捻出することがなかなか難しく、ここ最近まで視聴には至っていなかった。
ところが、少しきっかけがあり、私はこのアニメを一週間かけて全話視聴することになったのだ。そして、劇場版まで視聴した。
タイムリープものらしい、という事前知識しかなく、あらすじや登場人物についても何ひとつ知らず、絵柄も特別好みというわけではなかったのに、何故か「絶対私が好きな雰囲気だ」という確証が視聴前からあった。
そして実際、視聴後に、この作品は私の中の「すごく好きなアニメランキング」の上位に組み込まれることとなったのだ。
かなり古い上に、ものすごーく有名な作品であるため、今回はネタバレ全開で書いていきたいと思う。
もし、未視聴で、「いつか観てみたいなあ」と思っているかつての私のような人がいれば、絶対にブラウザバックしてほしい。
この作品は、前情報を入れずに視聴した方がぜっっったいに面白い。
SFものであるということもあり、序盤に張り巡らされた伏線が、終盤で一気に回収されるさまが爽快な構成となっている。
ネタバレをくらってからの視聴では、その衝撃や感動は半減してしまう可能性があるので、注意していただきたい。
では、本題に入る。
とはいっても、この記事では、詳細なストーリー展開などについては触れない。よく練られた、矛盾のないタイムリープもので、後半の疾走感や伏線回収が素晴らしい作品であることは間違いないのだが、それについての解説を行う気はない。
作品全体の雰囲気として、ギャグ要素、ラブコメ要素、SF要素、ホラー(鬱展開)要素などのバランスが完璧であることもこの作品を愛する理由の一つではあるが、今回触れたいのはそのことについてでもない。
タイトルの通りだ。
今回は、「キャラ読み」的な視点で、この作品の魅力を語りたいと思う。
とりわけ、タイトルのそのまま、主人公の岡部倫太郎について書く。
最初、1話を見始めた段階で私が思ったことは、「この主人公、今まで見てきたアニメの中で一番気色の悪い主人公では?」ということだった。
だって本当に、なんというか、気持ちが悪かった。
始まって数分で、「あ、この人は中二病なんだな」ということが理解できたし、更にその中でも、話し方(声色)や身振り手振りの動きがかなりキツイ部類だなと感じた。
本来私はオタクも中二病も嫌いではないし、自身にも一部そういう側面があると感じている。そのため、そういったキャラクターに対してあまり「気持ち悪い」と感じることがなかったのだが、岡部倫太郎に関しては、まじで本当に「うわぁ」となった。
なんだろう。喋り方かな。特に語尾、の発声というか。これに関しては、声優さんがめちゃくちゃすごいなあと感じる。
関わってはいけない、やばくて痛い、なんかみすぼらしい感じの男。
第一印象はそんな感じだった。
ただ、主人公の幼馴染であるところのまゆしいは可愛い。天然キャラなのかなんなのかまだわからないが、話し方も含めて、めちゃくちゃ可愛い。
続いてすぐに登場したクリスティーナも魅力的であり、クールな天才科学者という立ち位置なのだろうか?キャラデザがもう可愛いし、好みだ。
その後、主人公の友人であるところの、典型的なオタクキャラであるダルくんも登場し、私は「ああ、いわゆる陰キャみたいなオタク男子2人と、オタク男子が好きそうな異なるタイプの女子2人の、合計4人でのラブコメなのかな?」という安直な予想に至った。
三角関係になったり四角関係になったり、そういうふうに話が進むのかと。
まあ、もちろんというか、物語の展開はそんなふうにはならなかった。
「STEINS;GATE」というアニメは、一度観始めたが最後、途中で視聴をやめるという選択肢は一切浮かばないように思う。どの時点でも、続きが気になって仕方がないのだ。
物語がSF方面(つまりは現実では起こりえないこと)に向かって進んでいき、どんどんと謎が増え、登場人物も増え、どういうことだ?と考察しているうちに、人死にまで起こるようになる。
ミステリー小説や推理ものが苦手な筆者が、「つまり・・・?」と頭を捻っている間に、登場人物たち、特に主人公である岡部倫太郎は、取り返しのつかないところまで話を進めてしまう。
いや、岡部倫太郎はタイムリープができるのだ。それを実現できるだけの技術がある。手助けしてくれる強力な仲間もいる。取り返しのつかないことなんて、あるはずかない。
本当に?
本当にそうだろうか。
事実だけ見ればそうかもしれない。今までの常識をひっくり返すかのような素晴らしい科学装置があり、使用法のノウハウもあり、実験は成功していて、仲間はみんな天才だったり優しかったりする。
でも、じゃあ、本当に。本当に、どうとでもやり直せるのだろうか?
全ての物事を、どうとでも。何回でも。
私なら、無理かもしれない、と思う。
大切な人が目の前で何度も何度も死んで、酷い目に遭って死んで、いなくなってしまって、その原因は自分にあると確信してしまって。
何度も何度も何度も何度も繰り返しても上手くいかなくて、無力感に苛まれて、絶望に叩きこまれて。
私なら、「ああ、もう、疲れたな」って思ってしまうかもしれない。
大切な人が死んでしまっても、それで、自分も後を追って死んでしまえば。
もう苦しまなくて済む。もう考えなくて済む。一緒にあの世に渡ってしまえば、もう一人じゃない。もう怖くない。
死後の世界を本気で信じているかどうかは別として、あれだけの地獄を呑んだ人間は、そういうふうに考えてしまってもなんらおかしくはないと思う。
でも、岡部倫太郎は、諦めなかった。
心が麻痺して、残酷な考えになったりもして、でも、大切な人の命を諦めることはしなかった。
それどころか、助けたいその人以外の仲間のことも慮っていたし、自分のせいでこうなったなら自分がなんとかしないと、という責任も捨てなかった。何一つ、投げ出さなかった。
もちろんそれは、支えてくれた仲間のおかげでもあろう。
どの時間軸でも、どの世界線でも、何度でも話を聞いてくれて何度でも言葉をかけてくれたクリスティーナがいたからこそ、立ち上がることができたのだろうと思う。
でも、それでも、どれだけまわりに恵まれて助けられていたとしても、本人が「もういいや」と諦めてしまえば、それで終わりだったのだ。
歩むことをやめるだけで、全て捨てて投げ出すだけで、楽になることができた。そういう選択肢も、確かにあった。
けれど、岡部倫太郎はそれを選ばなかった。
何度も何度も何度も何度も心が折れて、ボロボロになって、しまいには自ら大怪我を負って命にかかわるような状態になってまで、それでも、岡部倫太郎は諦めなかった。
大切な人たちを、大切な仲間たちのことを、1人も諦めなかった。1人も手放さなかった。
「自分に今できること」を常に考え続けて、どんなに苦しくても、希望の糸を、誰かとの絆を、切ろうとはしなかったのだ。
そして、成し遂げた。
「諦めない」という、精神性。
口では簡単に言えてしまうが、本当にそれを実践できる人間なんて、この世には多くないと思う。
もちろんこれはフィクションの物語なのだが、作中のリアリティも相まって、私はこの「諦めない岡部倫太郎」を心底かっこいいと思ってしまったのだ。
余談だが、私は他作品でも「諦めないキャラクター」にものすごく惹かれるという性質を持っている。
以前記事にしたドラマ「女王の教室」の主人公である和美ちゃんもそうだし、有名漫画で言うと、僕のヒーローアカデミアに登場するかっちゃん(単行本の36巻あたりの描写)もそうだ。
諦めない。絶対にあきらめない。折れない。なにがなんでも。
そういう精神性というか、ド根性というか、根性を超えた先の、いっそ無意識の領域にまで食い込んでいるかのような、心の中にある「絶対」というものに、私はものすごく弱い。
和美ちゃんは「みんなで仲良く」と絶対に諦めないし、かっちゃんは「勝つ」を絶対に諦めないし、岡部倫太郎は「仲間を死なせない」を絶対に諦めない。
何があっても、絶対に。
心のど真ん中にそういう信念があるキャラクターは、すべからく魅力的であると思う。そして、私が同じ次元で同じ時間を生きているとしたら、ほぼ100%の確率で好きになっていると思う。
だって、フィクションだと認識している今でも、ガチ恋しそうなのだから。
「STEINS;GATE」の話に戻るが、この物語は、「タイムリープによる世界線の移動、それに伴う記憶の保持」という部分が肝なだけあって、タイムリープすればするほど、世界線や記憶における「ズレ」が生じる。
何のズレかって、岡部倫太郎と、その仲間との間のズレだ。
そしてそのズレが、物語を通して、ことごとく切ない。
とりわけ、ラブコメ的な要素に注目するとき、その切なさは顕著になる。
岡部倫太郎とクリスティーナは、魂レベルで共鳴し合ってるのか?ってくらい相性が良いように思えるし、(喧嘩するほど)仲も良いし、お互いがお互いを補い合うことができる関係性であると言えるだろう。
世界線によっては、この2人が明確にいちゃいちゃすることもある。
けれど、それは、あくまで「世界線によっては」なのだ。
世界線を移動することができる岡部倫太郎には、すべての世界線での記憶がある。感情がある。思いの丈がある。
けれど、クリスティーナには、それがない。
あれだけ通じ合って、あれだけ助けてもらって、これほどまでに感謝していて、これほどまでに尊く、離れがたく思っている。愛している。
けれど、それは岡部倫太郎の一方的な思いでしかなく、クリスティーナにとってはそれは「存在しない記憶」であり「存在しない事実」なのである。
それがたまらなく、切ない。
そして、それでも、クリスティーナは岡部倫太郎を好きになる。何度でも、何度でも。
どの世界線でも、結局は、お互い惹かれ合ってしまう。愛し合ってしまう。これを、運命と呼ばずになんというのだろうか?
全ての記憶がある岡部倫太郎と、基本的にはその世界線での記憶しか持ちえないクリスティーナは、それでも、お互いを大切に、離れがたく思うのだ。どういう過程を経ようとも。たとえ世界が、どんな形をしていようとも。
そして岡部倫太郎がクリスティーナのために奮走した本編とは対照的に、劇場版では、クリスティーナが岡部倫太郎のために奮走することとなる。
愛し合っていた頃の記憶なんてないのに、だ。
劇場版ラストシーンの、岡部倫太郎の「返してもらおうか。・・・」のセリフにはめちゃくちゃ痺れた。
タイムリープものならではのセリフだと思ったし、本編からの流れを全て含んでいて、この上なく美しく、シンプルでいて、心を鷲掴みにするセリフだと思った。本当に憎い演出だ。
そんなふうに、ラブコメ的な視点で見ても、かなり楽しい作品であると言えるだろう。
まゆしいはずっと本当に女神だったし、ダルくんは本物の天才だったし、クリスティーナは全然クールキャラではなかったし、岡部倫太郎は中二病の皮をかぶった、めちゃくちゃ常識のある熱い男だった。
他にも登場人物は多数いるのだが、それぞれのキャラクターが、他のキャラクターとの関係性も含めて、とても魅力的なのである。
良いアニメだった、本当に。
そして、私は岡部倫太郎の「諦めない精神」に心臓を撃ち抜かれたわけなのだが、本編中のクリスティーナの「あまりにも頼りになるかっこよさ」にも魂を吸い取られそうになったよ。
そんなことある?っていうくらい頼もしいし、かっこいい。
いてくれるだけで、話を聞いてくれるだけで嬉しいし心が軽くなるのに、それに加えて、現実的に本当に有能なのだ。
岡部倫太郎にとっては大切な仲間であり、相棒のようでもあり、そして、最愛の人でもある。そのことが、よくわかる。そうなって然るべき、という魅力がクリスティーナにもあるように思う。
熱く語っていたらかなり長くなってしまった。
古めのアニメではあるけれど、同じように全話視聴済みの読者の方がいれば、是非感想を語り合いたいところである。
そして私は、「シュタインズ・ゲート ゼロ」の方も気になっているので、機会があれば視聴したいと思っている。
ではでは、今回はこのへんで。