2025 WAKEISEIJAKU
HAPPY NEW 2025! 明けましておめでとうございます。
新年朝陽の光が少しづつ昇り始める様子を見ていたら、当たり前のように日が昇ると思っているけれど、各地で戦争がいまだに続いたり、太陽がなかなか出ない地域にいたりすると、実は当たり前でなはいのだと思うと、心がじわっとしてきた。
昨年を振り返っていたら、北は新潟から南は宮崎まで幅広く行動したと思い返す。
旧知の知人と楽しい時間を過ごし、新しい知人と親交を深める。
香川県にあるセカンドハウスも完成から一年以上経ち、友人たちも遊びに来てくれて海の景色にエキサイトしてくれる。リビングダイニングに入るドアを開けた瞬間の第一声を聞くのが楽しい。「瞬間」の感動。
年末美味しい日本酒でほろ酔い気分で、庵治石の壁と衝突し年末は左眼に内出血がありすごいことになっている。宝塚のアイメイク(片目のみ)みたい。私を知る人だったら、ゴルフボールがあったのか?とか思われそうだが、単に両手にものを持っていてそのままがつん、と庵治石の壁に突っ込んでしまった。すぐにものすごい腫れてコブがむくむく大きくなったのは、体内の細胞たちがパニック状態になったからなのか、なぜあんなにすぐに腫れるのか誰かに聞いてみたい。ただ流血しなかったので縫わずにすんでラッキーだった!本当にツイてる。
今年はどんな年にしたいか、と昨年を振り返りながら思っていたところ目に惹きつけられたのが「和敬清寂」という言葉。わび茶を大成した千利休が解いた茶道の心得で「四規七則」の中の四規の言葉。茶道は全く嗜んでいないのだけど、お互いに和し、敬いあい、心身が清らかで何事にも動じない精神、というのは今の時代に必要だなと思い、とてもしっくりくる。
考えてみたら昨年、縁があって立ちながらお茶を立てるとてもクリエイティブな発想の茶道を体験させてもらった。コンパクトな箱の中に茶道具、書、お花、が全て入り、茶道、書道、華道が全て楽しめるというもの。「残心」と言って、仕草一つ一つに心を込めておもてなしをする。教えていただいたのが、元高松藩城主松平家の末裔の方。私の母方の祖父のご先祖様は高松藩に仕えていた武士だったので、時空を超えて一緒の空間を共にし、お茶のご指導をいただいたことは感慨深かった。ご先祖様もさぞかし驚いているに違いない。
「和敬清寂」に戻ると、日本国最初の憲法にもある「和をもって尊しとせよ」は第一条にあるぐらいなので、「和」は日本人のDNAに刻み込まれた特性なのだと思う。古事記でも日本の神様は話し合って何でも決めていたようだし、本来は独裁体制にはなりづらい国民なのだろう。
私の捉え方としては、お互い和し、というのは話し合って意見を言い合って、最も良い方向を選んでいく、ということでただ単純にことを荒立てたくないから、意見が違っていた時に、自分の意見を言わずして、相手に合わしたり盲目的に従うということではない。お互いに敬いあって良いと思われる方向に向かうべく、意見を出し合う。議論する。その上で和する。その中で自他ともに、それぞれの考え方や意見を敬うということが大切なのはいうまでもない。清らかというのはいいも悪いもなく心を素直して耳を傾けて、その上でどんな結論になっても平常心を保つ。仕事をするにあたって、そのような姿勢でいると物事がスムースに行きそうな気がする。
そう思っていたら、松下幸之助さんが「素直な心になるために」という本を約50年前に執筆しPHPから出版されており、うちの父親の本棚で見つけた。「素直な心」というテーマで、本一冊書けるってすごい!と思って読んでみた。ご自身で「素直な心」になるための参考書があったら良いな、ということで書かれたらしい。とてもわかりやすくて、普遍的な内容で、本当に参考書として常に近くに置いておきたいし、間違いなく次の100年にも残っていく本だ。素直になることの効用十ヶ条というのがあり、なるほど素直な人が増えたら社会全体がかなり良くなりそう、と思えた。
お正月に良い言葉と本に出逢い幸先の良い1日で、2025年が始まった。
今年はさらに実り多き年になりそうな予感。
ちなみにWAKEISEIJAKUと漢字にしなかったのは、目で読む以上に音を感じたかったから。声に出してみたらなんだか落ち着きませんか。