ダイハード3なオンナ 20年前の終戦記念日に行った選択とは
2023年令和5年8月葉月15日、火曜日、終戦記念日です。
台風7号による、影響が、近畿地方に、厳重警戒中です。被害を受けたみなさまには、心よりお見舞い申し上げます。
30代未婚の私に、突然の悪性新生物の罹患の告知がされました。
虎の門にある医療機関で、2003年8月に、入院した時に、見つかりました。
細胞針の結果が、クラス5でした。
しかし、検査結果が、全て出揃わないうちに、来週全摘といわれました。
そもそも、三人部屋で、告知するという無神経さに、とても驚きました。
7ミリの腫瘍ひとつの為、全摘という、話に、納得いきません。
無神経で、無礼な、態度の告知した医師に、いろいろ、質問したら、お怒りになり、退院を申し渡されました。
元々、こちらの、虎の門の医療機関には、1978年からと、長く複数の難病の治療で、お世話になっております。1991年1月認定された、別の難病で、ずっとお世話になっている主治医の医師のお陰様で、セカンドオピニオンを、取りに行きました。
つまり、虎の門の医療機関で、全摘の手術を、受けないという選択をしました。
納得いく、医療機関の医師に、手術して貰うことを選択しました。
セカンドオピニオンを、16箇所に、取りに行きました。
納得いく、医療機関の医師に、手術して頂きました。
お陰様で、全摘されることなく、永らえています。
私は、被爆二世です。
システムエンジニアなので、キンキンに冷えたマシン室で、ノースリーブのワンピースで、ストッキングの足ので、爪、唇を、真っ青にしてコンピューター作業しておりました。
毎日、残業で、終電で帰宅してました。
仕事楽しくて、大好きですから、ウキウキ、ルンルンしながら、毎日、業務遂行しておりました。
後になって、勉強して、
悪性新生物の発症原因が、
疲労、冷え、電磁波、ストレス、食事、等と解りました。
冷え、電磁波、食事等々に、原因があるということは、
後に、
土佐清水の、N 医師や、
佐賀県にある、自由診療の、Yクリニックの院長、
から、診療、入院を、通じて、學びました。
健康に、しあわせに、日常生活を、実践できるように大きな、日常生活の基礎といいますか、基本を、知るべきだったと反省しています。
2002年12月12日に、手術をしたら、リンパに転移していました。
放射線治療後、化学療法の初回の施術で、アナフィラキシーショックで、心停止しました。
臨死体験しました。
最初の化学療法のアナフィラキシーショックの後遺症で、心臓弁膜症罹患、規定クール回数の、化学療法が終わりました。
すると、化学療法の副作用で、喘息を、発症し、その後、リウマチを発症しました。
新潟県立リウマチセンター病院へ、リウマチの勉強と、手の装具作成の為に、入院しました。
こちらでは、西洋医学的な観点からのリウマチについての、知識を、學びました。
リウマチ体操や、生活で気を付けること等々習得しました。
悪性新生物が見つかり、その時、告知した医師の不適切な対応、
ドクハラという、不適切な、コミュニケーションの経験のお陰様で、
自分で、自分の病について、全て調べる姿勢、
何事も、明確、明白にする事が、自分の命を守ることだと學びました。
全ては、自己責任です。
エビデンスに基づいて、判断する事、
医師に丸投げする事が、
いかに、危険なことなのか、まさに、身をもって學びました。
有難い経験です。