塵シャワー

それは、遠い遠い雲と空だった。

闇雲というけれど、僕はその闇でもがくことに思考を挟むことにしたのだ。

 ゼロをイチにすることがとても苦手だった。これはわかりやすい比喩として、「歩く」とか「しゃがむ」とか「跳ねる」とか、確かに大袈裟かもしれないけれど、そういう前提さえすぐにできなかった。大体皆はそれを聞いた途端、片脚を前に動かし、踏み込み、またもう片方の脚でそれをこなし、たちまち繰り返した。いつの間に、誰に教わったのだろう。皆が皆同じような動きを当たり前のようにして見せた。当時の僕は、自分にだけ搭載していないシステムが、または同等の高度な思考力が備わっているんだと感じた。そうすると僕は、一生懸命に皆に追いつこうと”考え込んだ”。まだ僕には理解していない何かが存在して、早く、早く身につけないといけないと思うと、焦燥感に駆られた五体はいつまでも強張っていった。
 自身の体の構造を容易く理解して、みるみる慣れていく。それが本当に不思議で不思議でたまらなくて、感動して、感動しているのに、ほかの気持ちが涙を流した。イチを掴んではいつの間にかそのイチをニ、サンへと進めていく人もいれば、初めからイチを携えている人も中にはいた。僕は後者のほうが、ひどく羨望した。

 やっとの思いでつかんだイチから、その数を増やすのは得意だったと思う。その速度は人並みかそれ以下だが、自分より先にイチを掴んだ人を追い越すことはあった。躓くということがあまりなかったのだと思う。祖父が私たちは遅咲きだから、と言っていたのを思い出して少しだけ安心したけれど、ゼロをイチにする苦悩というのは何に対しても、いつまでも僕をしがらみのごとく妨げた。









わかっていた。ここまでで私のことは不器用な人間だと気づいてくれてありがとう。

わからなかったよ
どうしても

とんでいる。鳥が翔んでいて、雲をかき分けた。

墜落したくないよ、きっとこれからもずっとしないのだろうけど、私は私のやってきたことにも後悔はあるし、反芻して痙攣することも今はなくなった。
けれどそれが快いものでもないと、本心が言っている。何が正しいのか、そもそも正誤がはっきりしていない場所で問うのはおかしいのか、それともまだ私は正誤がないものだと間違って認識してしまっている?
この暗中で嚙み砕いては表には出さなかった。ここで初めてこんなにも書き起こした。
間違うと、辛い。知っている。何回も知っている。手を挙げて間違える。辛い。泣きたい。知っている。叫びたい。叫ばない。知っている。私はシャワーの水圧で誤魔化せるほど背丈が伸びた。すべてを吐き出すのに丁度いいんだ、すべてが、すべての世界が馬鹿みたいに塵に思えて、めちゃくちゃ気持ちがいいんだ。音に乗って、クソみたいに筋肉に負荷をかけて、なんかすごく爽快で、その雲の切れ間から斜陽が流れて、生活が光を帯びて!!

そうすると、なぜかちょっとだけゼロをイチにすることが上手くなっていたんだと気づくようになる。壊れていくことが正解で、そうすると思考を放棄するのが楽しくて、なぜか今それが正しくなってきている。
このままだと君は泣いてしまうのかな、僕だけが望む結末に向かってしまうことがこの世界では間違いではないと、そういう結論に差し迫っている。

理が”これ”なんだったら、本当におかしいよこの世界
狂ってる
すべて水に流したいよ
今までのこと

ごみが


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