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「女性」という枠へのモヤモヤ
こどもの居場所づくりを目指し、
ヒント探しに日本を旅している
SoraSiroのむぎのです。
旅をしている中でぶつかる壁の一つ。
「女性」という枠と、自分の感情のぶつかり。
今回はそんなことを書いてみました。
男か女か
旅をして、こどもたちに会って、よく聞かれる質問。
「女?男?」
「女の子?男の子?」
「お姉さん?お兄さん?」
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髪も短いし、旅中はこんな格好をしているので、どちらと判断は付きにくいだろう。
私はだいたいこう答える。
「んー、女。一応ね!」
正直自分でもよく分からない。
ファッションはかっこいい方が好きだ。
旅をしている中で、ショッピングモールに寄ることもあるけど、
「久しぶりにオシャレな格好したい!」
と思うタイミングは、決まって、メンズの服屋の前を通った時。
ファッションはそれだ。
だけど、性別となった時には、よく分からない。
「一応女性」という言葉が今のところしっくりくる。
どっちでもいいに近いのかも。
それで、言いたかったことはというと、
こどもたちの質問には別に何も思わない。
シンプルに、
私と関わりたいと思ってくれた入口で、
「どっちなんだ?」と気になったから、聞いてくれただけ。
私がどうしても引っかかってしまうのは、
その後の大人の一言。
「お姉さんでしょ!」「女性でしょ!」「こんな美人さんなんだから」「可愛いんだから」
''そんな質問をしたら失礼でしょ!''
とでも言うかのように、ものすごい勢いで子どもの質問を訂正しようとする。
こどもと私が話す隙は無い。
私が色々話してみる隙もない。
だからそれで話は終わってしまう。
悪気がないのはわかっている。
むしろ褒めようとしてくれていて、
その人にとっての優しさの気持ちなのだろう。
だけど内心、動揺する自分がいる。
そして「私はこの子と話してたんだけどな」とも思ってしまう。
なぜ、人に性別を決められなければいけないんだろう。
大人もこどもと同じように「女性ですか?男性ですか?」と聞いてくれたらいいのに。
そしたら対話が始まるかもしれない。
少し心が、近付けるかもしれない。
ついでにあだ名の話をしよう。
むぎのだから、
「むぎちゃん」
と呼ばれることが多い。
旅に出てさらに増えた。
私の中で「むぎちゃん」はそれ全部で1つの名前みたいなもので、
「ちゃん」に性別としての意味は無いと思っている。
だから、「むぎちゃん」と親しみを持って呼んでくれるのは凄く嬉しい。
そんなふうに思っている。
だからどんどん呼んで欲しい。
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女性だから結婚をして出産をする
人との会話でふとした瞬間にぶつかる壁。
それは
結婚してこどもを持つことが、人の一生の流れの中には組み込まれているという価値観。
日本以外のことはよく知らないから、日本だけでいうが、
今の日本の社会で、結婚しない選択も増えてきたとはいえ、
多くの人は「結婚して子どもを持つこと」=「幸せな人生」みたいな価値観がある気がする。
「幸せな人生のひとつ」としてその価値観があるならいいのだが、
「それが一番幸せ''だろう''」という意味で存在している感じがして、
さらにいえば「そうじゃない人は可哀想」くらいの意味で存在している気がしてしまう。
どんな人生が、生き方が、形が幸せかなんて、人によって違うのに。
私は結婚願望がない。
結婚に関していえば、
別に結婚したいといつか思うタイミングが来たらすればいいと思うし、
何歳までに結婚したいとか、生きてる中で絶対に結婚したいとか、そう思うことは無い。
こどもに関しては、
自分の子をもちたいとはどうしても思えない。
だから「妊娠・出産・子育て」というものはほぼ100%、私の人生で経験することは無いだろう。
それは、どうしても、私の中で考えられないのだ。
ここでは理由は書かないが。
「結婚=こども」という価値観の人が多い気がする。
結婚と子どもをもつことを別に考えてる人って少ないんじゃないか。
その価値観があるから余計に、結婚という形も私の中で遠のく。
こどもを持ちたいと思えない私は、結婚=こどもの考えの人の幸せの形を一緒に作ることは出来ないのだから。
前置きが長くなってしまったけど、
旅の前も、旅の途中も、この、結婚・こどもの話で、よくモヤモヤっと感じる。
私が「女性」の見た目で存在しているから、
女性なのだから、これからの人生の中でいつか、結婚してこどもを産むだろう、という前提で話されることが多いのだ。
あとは、福祉という分野で子どもと関わるからこそ言われる、
''一度母親というものを経験した方がいい''
というニュアンスの言葉たち。
「ん?」と内心思いながらも、「あはは」と言葉を濁す。
悪気がないことは知っているから。
だけど、
知っていて欲しい。
知るだけでいいから。
「誰もが結婚したい訳じゃない」
「女性だからといって、女性誰もが子どもを産みたいと思えるわけじゃない」
ということを。
私の人生の幸せの形は、私が決める。
結婚も、子どもをもつことも、沢山ある選択肢の中のひとつにしか過ぎなくて、
どれを選びとって、組み合わせて、私にとっての幸せの形を見つけるかは、
人それぞれ自由でいいのだ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今回のテーマはいつも書くか迷うけど、
何となく書いてみたくなったので書きました。
だからここまで読んでくれた方へ。ありがとう。
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〇 この記事を書いた人 SoraSiroむぎの
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