せつなさを胸に吸い込むほど匂い立つ、ヨルシカの夏
誰もが持っているどこかの夏に、連れて行ってくれる歌がある。
小麦色の肌で入道雲に追いつこうとした昼下がり。闇に光る花火を想って恋の意味を知った夜。
音楽が記憶と結びつくと、目を閉じて手繰り寄せる感情の濃度が増す。
ふとした空気に夏の訪れを感じるこの季節。せっかくなので、夏のはじまりと終わりを思わせる歌詞に切なくなってしまうヨルシカの曲をお届けしたい。
「あの夏に咲け」
夕立の中泣く君に
僕が言えるのなら
もう一回あの夏に戻って
夏といえば、やっぱり片思い。
「夏の情景が大好き」と公言するヨルシカのコンポーザー&ギタリストのn-bunaが描く、片恋もしくは喪失の歌詞に夏の陽炎がゆれている。
物書きの青年が遠くから見つめる恋。道路わきのバス停。沈黙の待ち時間。いつもの光景で、いつまでもは続かない日々。
少女のようにも青年のようにも聴こえるボーカルのsuisの歌声が、夏に還りたい心によく染みる。
「エイミー」
流れる白い雲でもう
想像力が君をなぞっている
あの夏にずっと君がいる
軽快なメロディから、光の粒のように響く歌声。
穏やかにはじまった曲の途中で、「さぁ人生全部が馬鹿みたいなのに」なんて急に叫ばれるから、大人になりたくてなりたくなかった中3の夏休みを思い出してしまう。
街角で出会う音楽のように、耳に残る余韻が心地いい。
「言って。」
牡丹は散っても花だ
夏が去っても追慕は切だ
「君」に「言って」と語りかける言葉は、曲の中盤から「君」が「逝った」と明かす。恋人のかわいいわがままだと思っていたのに、ひっくり返った世界の歌声は、まるで泣いているように聞こえる。
「明日十時にホームで待ち合わせとかしよう」のお願いが、こんなにもやるせなく響くなんて。
「雲と幽霊」
夏の陰に座って
入道雲を眺めるだけで
どこか苦しくて
空が高いよ ねぇ
このままずっと遠くに行けたらいいのにな
同じアルバムに収録されている「雲と幽霊」は、「言って」のアンサーソング。
小さな子をなだめるような歌声に、逆に胸を締め付けられそうになる。でも余白を残した終わり方は優しい。
「花に亡霊」
風にスカートが揺れて 想い出なんて忘れて
浅い呼吸をする 汗を拭って夏めく
際立ってうつくしい夏が描かれた一曲。歌のなかで夏がはじまり、そして終わる。でも物語は続いていく。個人的に、一番繰り返しながら聞きたいヨルシカの夏曲かもしれない。
主題歌である映画『泣きたい私は猫をかぶる』のPVと合わせると、より一層情景が匂いたつ。
***
ヨルシカは、歌に世界観を作り込むアーティストだ。
たとえば2019年に発売された2枚のフルアルバム、「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」には、音楽を辞めた青年と彼を模倣するように生きる女性の物語を織り込んだ楽曲が、いくつも組まれている。
ただ、4月22日にリリースされた最新曲「花に亡霊」は、これまでのヨルシカとは装いがちょっと違う。公式アカウントで作詞担当のn-bunaは「綺麗な言葉と景色を並べただけの歌」とコメントしている。
「言って。」のように言葉遊びを歌詞に組み込んだり、正岡子規の句を歌詞に忍ばせる仕掛けを散らすヨルシカが、この曲で表現したかったことは何も無いと言い切る。
けれども私は「花に亡霊」にも、ほかの曲と同じように、それ以上に夏の匂いを感じる。なぜなのだろう。
それはきっと、そもそも言葉の意味とは聞き手側が持つものだからだ。
駐車場にたたずむ向日葵や、図書館の窓に浮かぶ入道雲に意味はない。その風景に溶け込んだ自分と、そのときの五感、感情が、物体に色をつける。
だから歌詞が描き出す情景が、音と声と共に感情を揺さぶり、記憶の中の想い出を呼び覚ますのだと思う。
そうやって夏の匂いがする曲を聴いて、私たちは一人の夜に泣きたくなったり、誰かを想ってやさしくなったりする。
今年はきっと、いくつものピースが抜け落ちたパズルのような夏を見る。
それでも人は太陽の輝きから目が離せない。緑は青く海は光る。恋にだって落ちる。アスファルトの雨の匂い、夕涼みの公園の陰、半分溶けたかき氷。
ヨルシカの夏を抱きしめて、浅く深く、風の匂いをかぐ。遠くに待っている日々を、そっと噛みしめながら。
もう忘れてしまったかな
夏の木陰に座ったまま 氷菓を口に放り込んで風を待っていた
「花に亡霊」
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