遠くから響く
その音を、忘れていた。
雨の日のカエルの大合唱、降り注ぐアブラゼミの声。どれも、いま住んでいる国にないものだ。日本の夏は久しく味わっていない。
ある日、一つの動画が流れてきた。深い緑の山、そびえたつ赤い五重塔のような建物。流れ落ちる滝。そえられたキャプションを読んで、なつかしいと思った。だから、クリックした。
力強く、響く音。カナカナカナと、ひぐらしの声が手のひらの中で反響している。
ああ、こんなにも、美しい音色だったのか。
ひんやりした夏の朝の空気。10時のアニメ。ビニール製のプールバック。畳の上で回る青い羽根の扇風機。昼寝する私に、「お腹が冷えるから」と母がタオルケットをかけてくれた。
日焼けするまで、校庭をかけまわって。「また明日ね」と、友達とわかれたアスファルトの道路に響くあの声。
通りすぎた子ども時代が、その音につまっていた。大人になってしまったので、近くて遠い音色にちょっと泣きそうになる。