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【序】OZAWA”さん”に見事に沼った絵描きプ女子のはじまり

まさか自分がこんな風になるとは思わなかった。
”あの日”以来、年の瀬も年が明けても私の頭は小澤大嗣ことOZAWA選手の事でいっぱいになっていた。

そもそも2023年に4年ぶりにプロレス観戦を再開した私は、当時の推しであり、プロレスをまた見たいと思えるきっかけをくれたAMAKUSA選手が見たくてプロレスリング・ノアに足を運ぶようになった。
その当時、おそらく大和田選手がデビューした辺りから小澤選手の事も気になるようになったのは覚えている。
今思えば、たしかに自分が見始めてからも試合数はそんなに多くなかったような気がする。セコンドにいる小澤選手はあの体格なのでよく目に入り試合が見たいなぁなんて思う事もあった。
正直な話、小澤選手の体型がすごく好きで…それはもう好きで(語彙消失)
ちょっと語ると長くなるのでここは割愛致しますがとにかくすごく好きで。
で、当時の小澤選手の試合自体は数えるぐらいしか見た事が無く、とにかくドロップキックの打点だったりミサイルキックが綺麗だって印象があり、それ以外はそんなに記憶には残っていなかった。

時は流れ、2024年の1月に小澤選手の海外遠征が決まった。
実を言うと私は、この時点でAMAKUSA選手の長期欠場中というのもあり、ノアをしっかりと追ってはいなかった。ただ、小澤くん海外に行くのかぁ…頑張って欲しいなぁ…という気持ちで彼のX(旧Twitter)を見ていた。

そして更に時が流れ、たしか2024年の7月頃。9月に開催されるノアのイギリス大会のカードや出場選手が発表されたのを知り、いろいろ調べていたらイギリスでの小澤選手の動向がXのタイムライン上に流れてきた。そこで見た小澤選手の動きやら見た目の変化に「おh…良…」となったのだった。
インスタもフォローしてこれはノアに帰ってきたら面白いだろうなぁと思いつつ、私は全日本プロレスを追うのに必死だった。

その後、オールレベリオンの新メンバーとして10月に凱旋。その時は「うおおお!!これから楽しみだなぁ!!」と思いながらも少しだけがっかりしていた。何故なら帰ってくるとしてもオールレベリオンでは無いと思っていたからで、これは今だから言える事だけど清宮選手や拳王選手の対角に立ってほしい気持ちがあったからだ。
だからまあ、11月17日”あの日”の出来事で私の中の何かが爆発した。

当時の私のX(旧Twitter)

このあとすぐファンアート描き始めてしまうぐらいにはもう駄目だった。
そしてこの日から私はおざわを追いかけるようになった。
連日繰り広げられる清宮選手への暴露攻撃。通称・OZAWA砲。
今までのノアでこんなやり方を見た事がない。
案の定、否の意見が多く私の目に入ってきた。
しかし…まああああああこのやり方が私は好きで仕方がなかった。
それはたぶんずっとノアを見ていなかった、ずっと清宮選手を追っていなかった自分だからそう思ってしまったのかもしれないし、単に「おもしろい事がはじまるぞ」という野次馬的な気持ちがあったからなのかもしれない。
このOZAWA砲が世間を騒がせていた期間、私は他の団体の観戦も決まっていたのでそちらに重きを置きつつ、彼の動向を伺っていた。

12月に入って1日目。
ノアの新宿FACE大会で私の箍が外れる音が聞こえた。

【破】につづく…


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