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「ディーセントワーク」とは、 人の働き方に寛容になること

お久しぶりです。更新が2ヵ月近く滞ってしまいました。更新をサボっていた間もたくさんの「スキ」をいただき、本当にありがとうございました。心を入れ替えて、できる限り頑張って書くようにします。改めてよろしくお願いいたします。

■「包摂」と「ディーセント・ワーク」って?

今回はSDGsのゴール8「働きがいも経済成長も」について書いてみます。ゴール8は、このように目標を定めています。

 すべての人々のための包摂的かつ持続可能な経済成長、
雇用およびディーセント・ワークを推進する。
(国際連合広報センター)

包摂的(ほうせつてき)とは、どんな立場の人も社会から排除しないこと。SDGsの理念である「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」そのものですね。そしてディーセント・ワーク(Decent work)とは「働きがいのある人間らしい仕事」を意味します。

ブラック労働で生命が危険になるまで働かせたり、非正規のワーカーを都合よく使い捨てての経済成長は、もうやめにしようということです。

身体や心を病んで週1〜2日しか働けない人を「そんなのダメだ」と否定してもいけません。週1〜2日だけ無理なく働くのが、その人にとっての「ディーセント・ワーク」だからです。

フルタイムで働けない人は働けないなりに尊厳が守られなければなりませんし、今は元気な人も、いつ身体や心を病んで「社会的弱者」になるかわかりません。

だからこそ、何かあったときに「その人らしさ」が守られるよう、生活保護や給付金といったセーフティネットが必要なのです。

福祉政策に詳しい宮本太郎・中央大学法学部教授は、セーフティネットの一つの在り方として「交差点型社会」を提唱しています。こちらで詳しく書きました。

■「自助、共助、公助」とディーセント・ワークの関係

実は私は上の記事をアップする寸前に宮本教授にZoom取材をしており、そのインタビュー記事が発売中の『季刊社会運動』(No.442/2021年4月号)に掲載されています。

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下記の通販サイトから、1冊ご購入いただけると嬉しいです(なぜかサムネが表示されないのですが、怪しいサイトではありません)

https://www.honnoki.jp/c/books/Social_Movements

記事のテーマは「自助、共助、公助」ですが「ディーセント・ワーク」にも大いに関係ある内容です。まず宮本教授は、以下のように定義しています。

・自助=働いて稼ぐことも含め、個人がその人らしく生きられること
・共助=協同組合やNPOなどによる、自助する人々を支え合う活動
・公助=共助を支えるための、国や自治体によるさまざまなサポート

つまり国や自治体の財政的・制度的な「公助」がしっかりしているから「共助」が可能になり、「共助」が支えてくれるから私たち一人ひとりの「自助(ディーセント・ワーク)」が成り立つということです。

少し長くなりますが、私がとくに感銘を受けた部分を抜粋して紹介します。

単に賃金が得られるだけの雇用では不十分で、働く喜びや人とのつながりを通して自己肯定感を持てるようになることが不可欠です。そのためには、一人ひとりに合った雇用を創出していかなければなりません。
これを私は「オーダーメイド型の雇用」と呼んでいます。例えばメンタルの病気を抱えている人や、家族を介護している人はフルタイムではなく週3日だけ働いたり、対人関係が苦手な人はバックヤードだけの勤務にするなど、いろいろな働き方が考えられます。(中略)
オーダーメイド型の就労で週3日だけ働いても、生活を成り立たせるだけの賃金は得られないかもしれません。だからと言って「無理矢理でも違う仕事を見つけろ」では本末転倒で、その人らしく生きることが損なわれてしまいます。
そうした場合に、足りない分を補う補完型の給付金が重要になります。また、協同組合やNPOなどの事業体は財政的基盤が弱く、コロナ禍によって事業継続が困難なケースも見られます。国や自治体による財政的・政策的な支援があってこそ、持続可能な変革が可能になるのです。(P20〜21より)

菅義偉総理大臣のように「まずはとにかく自助で頑張れ」というなら、国は責任を持って「公助」を充実させないといけないのです。

■日本でディーセント・ワークが実現しにくい理由は?

ここからは宮本教授のお話を踏まえて、私なりに感じたことを書いてみます。今の日本の状況では、あらゆる人がその人らしく働ける「ディーセント・ワーク」の実現は程遠いと思います。

まず実現のためには、私たちが他の人の働き方に対してもっと寛容になる必要があります。5月13日に、毎日新聞がこんな記事を配信しました。

簡単にまとめると、こんな内容です。

・「阪急阪神ホテルズ」がパート従業員219名を雇い止めにした。
・その1人である60代男性が会見で悔しい気持ちを語った。
・男性は母親の介護のためフルタイムで働くのは難しく、週1回の勤務だった。
・男性は「非正規労働者は雇用の調整弁ではない」と、雇い止めの撤回を求めている。

この記事をYahooニュースでご覧になった方も多いと思いますが、私はコメント欄を見て複雑な気持ちになりました。

「週1しか働けない人間を好んで雇う企業なんかない」「非正規労働者が雇用の調整弁なのは当たり前だろう」など、母親の介護というやむにやまれぬ事情のある男性を厳しく糾弾する声が多く並んでいたのです。

ヤフコメが日本を代表する意見かはわかりませんが、「何が何でも自己責任」という風潮が強いのは確かな気がします。少し前には「生活保護バッシング」もありました。日本の社会というのは、脱落しそうな人に不寛容なんだと思います。

宮本教授は「自助できている人」も、実は色々なかたちの「共助」や「公助」に支えられていると語っていました。たとえば大企業の正社員で安定した収入を得ている人も、家事や育児は奥さんが支えてくれて、保険や年金といった福利厚生は会社が保証してくれています。

こうした目に見えにくいセーフティネットの存在に気づかず「オレ1人の力で自立している」などと思うのは、単なる傲慢です。今や大企業の正社員だって、いつリストラされるかわかりません。その時に自分はどうなるのか?という想像力を持つことなく「自助で頑張れ」だの「とにかく自己責任」などと勇ましく叫んでいるとしたら、悲しすぎます。

「ディーセント・ワーク」を根付かせるには、まず私たち一人ひとりそれぞれの働き方があることを理解し、他の人の働き方に寛容になることが必要だと思います。


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