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ぱっちり、朝ごはん

朝ごはんが好きだ。
目が覚めた瞬間まず何を食べようか考えている。というか前日の夜からすでに「明日の朝はこれとこれを食べよう」と目星をつけておく。
朝は食事ができないという人もいるが自分はそういうことはほぼ無く、一日の中でも一番食欲が湧く。朝食べるなら丸一日かけてエネルギー消費できるからちょっとくらい食べ過ぎても大丈夫、という心持ちがありがたい。常に食べたいと太りたくないという葛藤に頭を悩ませている自分にとってこの安心感は重要だ。

朝ごはん好きは作家たちにも多くいるようで、35人それぞれが朝ごはんへの思いを書き綴ったアンソロジー形式の本である。


読んでいるといろいろ食べたくなってきた。
しばらく食べていなかった海苔の佃煮の艶めかしい黒色と磯の香りを思い浮かべ〈漆黒の伝統 (森下典子) 〉、ホテルの朝食バイキングに向かうときの興奮に共感し〈朝食バイキング(角田光代) 〉、脳内で一緒に京都の喫茶店めぐりをする〈モーニング (万城目学) 〉

また、朝ごはんの風景には物語がある。
〈朝のうどん (吉村昭) 〉では、地元民しか知らないような早朝のうどん屋で求められた色紙に書いた一言がこの店の看板になった。

〈朝餐 (山本ふみこ) 〉では子供の誕生日を祝うため、家族みんなが集まれるようなとっておきのアイデアが生まれる。
朝にお祝いをしたっていいじゃないか、そんな柔らかい発想に心打たれた。

そうだ、晩餐が無理なら「朝餐」をひらこう。


人それぞれに朝の定番といえる食べ物があるだろう。自分にとっては納豆である。
〈朝は湯気のご飯に納豆(渡辺淳一)〉には納豆の由来などとともに今時の納豆に対して筆者の辛口コメントも綴られている。

だがわたしの好みからいうと、挽割り納豆は性に合わない。(中略)
あんなものをつくるから日本人の歯がますます弱くなり、顎の発達が悪くなるのである。

とにかく、今の甘ダレは清酒の甘口と同様、消費者に媚びた感じでいただけない。

もっとも、わたしはこの種のもの(薬味など)をくわえるのが好きではない。

ここで自分は個人的な反論と提案をしたい。ひきわりは粒々感がより感じられるのが丸粒とは別物として良いし、ネギやキムチなんかの合わせ物は納豆を楽しむための相棒として欠かせないと思う。太宰治がやっていた"ひきわり筋子納豆"なんかは半信半疑で試してみたらとてつもなく美味しかったので、固定概念を取っ払ってぜひやってみてほしい。


アンソロジーのいい点は、短い一篇で自分の好みの作家を発見できるところだ。今回は、以前から好きであったが阿川佐和子さんの文がやっぱりいいなと感じた。小気味よいテンポがあり心の声そのままのようなところが好きだ。実際に喋っているときの彼女と文章がぴたっと一致している。
彼女の言葉のチョイスも好きで、

ジャー、シュルシュル、ピン!黄金色に揚がった油條は、またもや手際よく箸ですくわれて、豆乳注文カウンターにさっさか運ばれていく。

この一文がとても気に入った。


この本も含めた『おいしい文藝』シリーズは2024年1月現在で15冊(新装版が5編)ある。どれも「美味しいそう」で「食べたくなる」文章ばかりだ。読めばすぐにでも食事がしたくなること間違いなし。


出典:『ぱっちり、朝ごはん』(おいしい文藝シリーズ)
   河出書房新社


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