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いかれた慕情

『常識のない喫茶店』、『書きたい生活』と読んですっかり彼女の文章に引き込まれてしまっている。今回は2018年に一度ZINEとして発行されたものに書き下ろしを加えた一冊である。

26篇のエッセイは、日記のようなものから連作小説風、詩的な文章まで様々な形をしている。現在・過去と時間を行ったり来たりしながら彼女の人生のワンシーンを覗き見ているような感覚になった。


各篇でぽつぽつと書かれていたのは、彼女がずっと感じていた苦しみだ。

人と関係を築くことが、本当は心底怖かった。(中略)
お互いに踏み込んで知っていく過程というものは、恐ろしいものだった。

「どうして、」と切り出したときの声は震えている。「どうして、わたしは自分のことがわからないんだろう」と、小さく呟いた。

「死にたい」と何度も思ったりお酒や煙草に浸ったり、深く暗い人生だったと彼女は振り返る。文章のいたるところから彼女が感じてきた苦痛が伝わってきて胸が締め付けられる。

でもそんな苦しい中でも光が差し込むような出来事もあった。高校時代の先生の言葉に救われ〈何が〉、ネットで知り合った友人とはきらきらした非日常を交わした〈リノちゃん〉。
食べることが好きな彼女が料理と向き合う〈わたしと(の)料理〉では、食を通して心身が満たされていく様子が描かれている。

閃き、発見、恍惚に包まれる日々。キッチンでひとり興奮しながら、わたしは料理を作っていく。そして、食べるのが好きな食いしん坊の魂もあれども、おいしい料理を作れたときの感動もまたひとしおなのである。

同じく料理が好きな自分は共感できる部分がたくさんあった。何を作ろうか考えるワクワクした気持ち、調味料を駆使して味を作り上げていく実験のようなドキドキ感。そして完成したものを食べる喜び。料理の過程すべての楽しさがこの篇には詰まっている。

連作小説のような〈吸収と放出〉は彼女と音楽の関係が綴られている。
中学の吹奏楽から高校・大学の軽音楽まで、青春真っ盛りを音楽とともに駆け抜けた彼女の日々はせわしなくでも煌めいていた。
音楽がこれほど好きだとうことはこの本を読んで初めて知ったので、こんな一面もあるんだと親近感がより湧いた。自分も学生時代は音楽を通して友人とはしゃいでたなと懐かしく思い出した。

恋人や夫との関係についてもいくつか語られている。〈確かに恋だった〉は恋愛ドラマの脚本かと思うほど濃厚で、過ぎし日の彼との記憶が鮮明に記録されている。〈金星〉や他の篇でも度々登場する夫とは気の置けない関係を結べているんだろうと推察できるほど、穏やかな生活の様子が窺える。
人付き合いが怖いと苦しんでいた彼女だが、心を開ける相手がいたことが良かったなと何故か自分が安心した。

そして最後の〈加速し続ける〉、両親に本を出したことを伝える場面で報告後に彼女の母が伝えた言葉が強く心に残った。

「どうにか普通の子と同じようにって育てようとして、そうやって守ってあげないとって思ってた。(中略)
でもそんな風に縛り付けなくても、まりはちゃんとすごかったんだ。」
「好きなことを仕事にできるって、幸せなことよねぇ。頑張ってきたんやね。おめでとうね」

読んでいて何度か目頭が熱くなったがここで涙腺崩壊である。この言葉が彼女の心を救ったことはきっと間違いないだろう。


彼女の書くものはどうしてこんなにも豊かで魅力があるのだろう。
日々の出来事を拾いあげる感性とそれを表現できる言葉の引き出しが本当に素晴らしいと思う。自分もこんな風に書けたらと憧れざるを得ない。
今後の発表作も楽しみだ。


出典:『いかれた慕情』僕のマリ
   百万年書房

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