はっちん
時は慶長19年、京都・鴨川の水を引き込み、洛中の二条から伏見までの人工運河・高瀬川の開削工事を完成した了以は、舟運開通に沸く幕府の役人や工事関係者、見物に来た京都の町衆を見渡しながら、静かにこう呟いたといいます。 「この運河を誰が造ったなどということは、すぐに忘れてしまうやろう。」「それでいい。」 「この運河の完成で便利になり、潤う人々が増えればそれで充分本望。」 あれから約400年、この高瀬川を誰が造ったのか?知り語る人は京都の人ですら少ないのです。 保津川下りの創業も
時は戦国!安土桃山時代から江戸時代初期の動乱期。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人と渡り合った豪商がいた! その名を角倉了以。 息子素庵とともに、朱印船貿易に乗り出し世界に飛雄する一方、世界最先端の土木技術で、保津川、富士川、高瀬川など急峻な河川開削に着手、河川舟運を開くことで近世日本に、新たなビジネスモデルを展開し、日本の経済・産業史に大きな影響を与えた実業家です! 16世紀後半から17世紀前半の世界大航海時代。欧州列強が大船団によりアジアへ進出し、植民地化を進め