Eric Martinインタビュー和訳(抄訳)

ドイツのROCKS誌、2018年6月号に掲載されたインタビュー和訳(抄訳)になります。一問一答形式ではなく独白的な感じかな?

2018年2月のパット・トーピー逝去後、バンドの現状や今後について語っています。

EM:パットはバンドの中でもベストシンガーの1人だった。僕のポール・マッカートニーとしていつも側で助けてくれていた。

ーバンドのフロントマンである彼はそう話し始めた。

EM:彼が亡くなって最初の一週間は…とても、とても辛かったんだ。
完璧に打ちのめされ、自宅から1.5ブロック先に設えてあるソングライティング用の部屋で一人、大量のアルコールで悲しみを紛らわせようとした。
ギターをつま弾きながら、自分自身やバンド、パットの妻のカレン、息子のパトリックJr.に思いを馳せ、考え続けていた…。
完璧な鬱状態だったし、その先にやるべき仕事がなければ、そのまま真っ暗な穴の底に落ちて這いあがれなかったかもしれない。


ーGotthardのオープニングアクトとしてのドイツ、スイスツアーが2018年3月に控えており、それがエリックを前進させるきっかけとなった。

EM:あのツアーは良いタイミングで行われたと思う。僕にとって良いセラピーになった。ツアーメンバーは皆、僕のことをとても気遣ってくれたし、Gotthardのドラマー、ヘナはパットを偉大なお手本だと話した。会う人たちが皆、パットやその音楽が彼らにどれだけ大きな意味をもっていたかと話してくれて、それは僕の傷付いた心を優しく癒してくれたんだ。ツアーの間、毎日何度も何度もパットのことを考え、Take Coverを彼に捧げるために演奏した。
これらの全てが僕の支えになり、また小さな幸せを見つけることができるようになった。本当に感謝しているよ。


ーパットの経歴を紹介(省略)
パットはエリックのバンドメイトというだけでなく、何よりもまず意志の強い友人であり、エリックに対しあらゆる場面で苦言を呈することがあった。

EM:パットは物静かなアメリカ人で、音楽と家族、野球が常に彼の側にあった。
ツアー中もLAドジャースの試合をラジオにかぶりついて聞いてたよ。そんな彼に、僕がディナーの時にするようなくだらない話をしようものなら「試合中だぞ、エリック!」と腹立たしげな顔を向けられたものさ。
彼はとにかく辛抱強い人間で、僕を「マトモ」にしようとしてた。
僕が時々「リード・シンガー病」にかかって数々の些細なことにブツブツ文句を言い出すと、彼は天を見上げて「ジーザス・クライスト、エリック!いい加減大人になれ!」と叫ぶ。そんな風に僕に言うのは彼だけだったよ。


ーとりわけ、ある『物語』がパットとエリックの特別な関係をよく表しているという。

EM:90年代の話だけど、ツアーでカリフォルニアのオークランドに居たんだ。僕らのサウンドチェック中に前座のバンドの連中が見学に来ててね。
僕はこのビッグマウスを閉じることができず、彼らの前であれやこれや、同じ流れで同じ曲をやることについてベラベラと喋ってたんだ。他のメンバーに僕がどれだけこのルーティンにうんざりしてるか、知らせてやろうと思って。
ビリーは誰が見ても分かるほど怒っていたけど、一切口を開かなかった。あるいは匙を投げていたのかも。ポールは僕らの「坊ちゃん」だから、いつもと変わらずイージーでリラックスしてた。
でもパットは違った。彼はサウンドチェックの後僕のとこにやってきて「話がある。」と、いきなり僕の胸倉を捕まえて宙に持ち上げ、説教を始めた。
「お前のそのリスペクトのない態度を俺がどう思ってるか分かってるだろうな?他の人間の前で、バンドを辱めるような真似はするな!」
…10分間ぐらいそうやって持ち上げられてたような気がするよ。
最後、彼は僕を地面に下ろし、僕の服の埃をはたくような仕草をしながら「おい、大丈夫か?もう一度ああやって持ち上げられたい?」
僕の答えはただ一つ、「No, Sir!!」


ーパーキンソン病の発症

EM:2010年の秋、What if…をレコーディングしていた頃、パットは最初の異変に気が付いたらしい。
彼は完璧主義者だから、まず自分自身に腹を立てていた。何故、思うようなプレイができないのかと。僕らは当時、何かしら神経の問題かな、ぐらいにしか思ってなかったよ、後のアルバムツアー中は何も問題がなかったから。
2014年にThe Stories We Could Tellのレコーディングを僕とパットで ー ビリーとポールはそれぞれソロ活動で忙しかったからー 始めた時、パットは僕に初めて病気のことを明かした。
僕は医者じゃないからパーキンソン病には詳しくない、ただ彼がどうなってしまうのか怖くて、彼の前では努めて明るく振る舞おうとしてた。


ーパットのパーキンソン病が発覚したが、パットがバンドを辞めることはエリック、ビリー、ポールも反対だった。デフ・レパードのドラマー、リック・アレンのチームにパット用の新しいドラムキットを開発することも相談したが、それはパット自身が乗り気でなく、実現には至らなかった。
(中略)
発病後、初めてのツアーではサポートドラマーとしてマット・スターがドラムを担当するようになり、パットは数曲だけ叩いた。それ以外ではドラムセットの横にミニのドラムを設え、パーカッション兼コーラスとしてステージに立つことになった。
 
EM:その状態をパットが良しとしていた、と言ったらウソになるね。彼は前のようにプレイできないことを恥じていた。ファンがどう思うか、とても気にしてたよ。LAからロンドンへ向かう機内で、彼は非常にナーバスになっていてKoko-Clubに辿り着いた時には、「クソッタレ!もう知るか!」という態度だったので驚いた。
パットはマットに毎日ドラムのコーチングをして、1曲1曲を正確に演奏するためにスティックの持ち方から教えることもあった。パットは自分がショーの大事な部分であることを分かっていたし、僕らはバンドとして結束を更に固くしていた。いつもパットを抱き締めながら沢山の言葉を交わし、そうすることで彼は安心感や自信を得、僕らやクルー、ファンからの愛を受けとめていた。


ーシンガー、エリック・マーティンは彼らの最新スタジオアルバム、Defying Gravityにはあまり満足していないらしい。
昨年(訳注:2017年夏)のリリースの後について語気荒く語っている。

EM:このアルバムを気に入ってる人もいるようだけど、僕は違うね。
全てが慌ただしく急速に進められた。たった6日間しか与えられなかったんだ。もう2,3カ月あればもっと良いものにできただろうに…レコーディングに臨む準備ができていなかったんだよ。
特にサウンドが気に入らない。急かされてるみたいだし、音もよくない。
でも、冗談みたいなのは、僕が最初嫌ってた新曲をツアーで演奏しているうちに段々良くなってきて、その内大好きになっちゃったことかな。1992, Open Your Eyes, Everybody Needs A Little Troubleなどは演奏しながら上手く付き合えるようになっていったよ。今、録音すれば良いものになると思うけどね。


ー エリックにとってラッキーなことに、その(曲に対する)成長がLive From Milanでは記録されることとなった。Live From MilanではDefying Gravityから数曲ほどが、過去のアルバムからの曲に混じって収録されている。

EM:あのライヴは音が分厚くて生き生きしている。Live From Milanは総じてMr.Bigのハードで暗い面が見られると思う。僕らの過去のライヴアルバムがポジティブな明るい光に満ちていたものとは異なるけれども、ファンはそれを興味深いと思うんじゃないかな。

ー Live From Milanが収録されたミラノのライヴハウスは、あまり見栄えのいいクラブではなかったが、他のもっと良いホールがスケジュールに入っていたことはエリックにとっては気にならなかったようだ。

EM:過去には、名の知れたホール…ワーフィールドとか武道館とかそういうとこでもやったけど、会場が良ければライヴの出来がいいという保証なんてない。サンフランシスコでのライヴを収録することに決めたのは後悔してるんだよ、だってその前の晩のポートランドの方が断然良かったからさ!
Live From Milanは幸運だったと思う。ツアー中の停車駅のひとつに過ぎない普通のコンサートだったけど、いくつか魔法のような瞬間があった。
メチャクチャ暑い会場で、オープニングのThe Answerが演奏を終えた頃には観客は皆汗だくのクタクタだった。でもいいショーが出来たよ。
最初の何曲かは皆を立ち上がらせるのにちょっと苦労したけど、Alive And Kickin’でパットがステージに登場した瞬間 -会場がワーッ!と一気に沸いたんだ。

僕はこの作品のプロダクションに関わってたから、それこそ何千回も同じシーンを見た。そして、すごく悲しくなった。これがパットと同じステージに立った最後のツアーだったから。でもそれを記録に残すことができて良かったと思う。

ー パット無しで行う初めてのツアー(訳注:2018年)について。これらのツアーはパットが亡くなる前に既にブッキングされていたものだった。

EM:僕は、ビリーやポールに決断を任せてそれに尻尾振ってついて行くようなヤツにはなりたくない。でもこの6月にExtremeとオーストラリアツアーを行うことは、少し心配でもある。上手くできるかどうか、ってね。
パットがいなくなった「穴」をどうやって埋めればいいんだろう。
マットはいいドラマーだし、きっと問題はない。コーラスもなんとかやれるかもしれない。でも、ファンがグレイトなショーだと思ってくれても、僕自身はどこか不完全な気がしてしまうだろうな。
パットは、ただのバンドメンバーじゃなかった。パットこそがバンドだった!僕らは彼と一緒に演奏することを許されたミュージシャンであるに過ぎない。パットは僕ら…ビリー、ポール、僕をまとめて繋ぎとめておく錨で接着剤だったんだ。

これからのライヴが、なんとか上手く行って皆が良い気分で終えられるように…ウサギをシルクハットから出すような真似ができればどんなにいいかと思うね。

ー パットがバンドから去ることになるかもしれないと思った理由は。

EM:Defying Gravityツアーで日本に到着した時、パットが凄く元気なのに驚かされた。アンコールでは全員の楽器を交換して、彼がヴォーカルとしてGrand Funk Railroadの “We’re An American Band”を演奏したんだけど、パットのヤツったらステージを走り回って、会場の上から下までめちゃくちゃロックさせたんだ。
しかしその後の東南アジアツアーでは、少しずつ体調が悪くなっていったようで、ヨーロッパに戻って来た時には完全に疲れ果ててしまっていた。

パットは「もう沢山だ。さっさと家に帰って妻と一緒に居たい。」と何度も言うんだ。その度に僕は「パット、君が辞めるなら僕も辞めるよ。」と言い続けてきた。
もう何年も僕らは一緒にいて深い絆を作り上げてきたし、彼は自分がバンドにとって大事な人間だということを理解していたと思う。
しかしツアーの終わりに、パットは僕にこう告げた。
「もうやれることはすべてやりつくした。次のツアーからは僕なしでやってくれ。」
もう体力的に限界だったんだよ。数カ月に渡るツアーで身体はボロボロになっていたから、彼が冗談でなく真剣に言っているのはすぐに分かった。
空港で最後に別れのハグをした時、彼の骨ばった肩を感じて…でも、僕はそれでも、医者がきっと彼を治してくれるはずだと、望みを捨てたくなかったんだ。


ー夏のツアー以降のMr.Bigについて。エリックには確固としたプランはないようだ。

EM:来年、何をするべきか全くわからない。本来バンドがデビューして30周年になるからそれを祝いたかったけど、今のところそれについて考えることはしてない。
ビリーがバンドを続けたがってるのは知ってる。彼にとってはバンドは何よりも大事な人生だ。ポールについてはちょっと疑ってるけど、正直そんな事はどうでもいい。
ファンの皆は僕らに止めて欲しくないと思っているはずだから、今後の決断をする前にこの夏のツアーがどういうものになるか体験しておこうと思ってる。
ただ、僕にひとつだけ分かっているのは、マットの方を振り向くと、肩越しにマットにレクチャーをしてるパットの姿が見えるだろうな、ってことだけさ。